感染症に対して脆弱な社会構造に成っている事を、又証明した形に成った。
優秀な消費者として、育てられ・・・多々の消費が出来る事が幸せと教育を受けた人達に、今回の感染症は、大きな教訓を残すと私は考えている。
田舎に住む、私の場合・・・知らない人等が、村内に居る事を警戒する・・よそ者に対し簡単に受け入れないと言う、習慣が有る。
外から、何を持ち込むか解らない・・・この解らない部分を警戒しる事に成る。
閉鎖的な村社会と言われる部分にも成るが・・・戦前の村社会は一般的だった・・・勿論、この流れが長い間、続いてきた。
理由は、去年の二月に書いていると思うが・・・・感染症・病気の村への流入が、怖かった為だと私は考えている。
村の長は・・我村を守る事が大事だし、守り抜く事が、長の誉と成る・・・
簡単に書けば、我村からは感染者を出さない、之が誉と言う事に成る。
要は、生き抜く、生き残る・・・この基本部分を重視していた価値観と言う事・・・
しかし、優秀な消費者に取って・・この価値観は足枷に成る。
人の往来が多いほど、物も動く・・・・当然、村に多くの人が外から流入して来る事が良い事と成って行く・・・・これが、現代は、他所の人が、広がり、世界と言う単位に成っている。
昔に造られた、国道・・線路等々は・・・力が無い村を通っている・・・理由は、よそ者を警戒する、之を難しくする、幹線道路等は要らない・・当然、我村に、出来るだけ離れた場所を通す・・結果、昔は人も済めないと言われた土地に、今は多くの人が住んで居る状態に成っている。
何故、その土地に住むのか、優秀な消費者には都合が良いと言う事にも成る。
この様な、昔から続く・・村の因習とも言うが・・・現代は差別に繋がる等々で、なくなる方向に加速していた。
守る単位が、狭まり、今は、己に成ってしまった。
結果、守る事より、勝つ事・・何に、当然、その人が持っている価値観で変わるが、多く消費できる事が、勝つと言う、価値観が、爆発的に広がってしまったのが、現代と言う事に成る。
ボロボロの状態で、徹して守り抜くと言う、姿を馬鹿・損すると言う、考えまで出て来ている。
守る側が、己の恰好等、気にする暇もないのが現実だが・・・・・形振り構わず頑張る事が守ると言う事に成ると私は考えている。
昔から、書き続けている、優秀な消費者に成る事が幸せなのか????・・・・この部分を考える、現象が、近年続いている・・・地球が人間に対して、指摘している様にも感じる。
人間は、感染症との付き合い方を意識したから、地球上、全てに広がった、一つの要因だと私は考えている。
多々の感染症を乗り越えた、人間が生き残って居るとも考えている。当然、多くの人も亡くなったと成る。
要は共存できた人が、生き残ったと言う事にも成る。
地球は、大きなフルイに今、人間をかけている事にも成る・・・・フルイから落ちるか、残るかと言う状態だと思う。
当然、生活習慣・価値観等で、変わる部分にも成る。
人の流入が少ない、田舎の村・・・・村は安全だが、問題は、己が外に行って、持ち込む可能性・・・・この部分が、昔と比べると、格段に多くなっているのが現代・・・
当然、生きる為には、村の外に出る必要が有る・・・之は否定できない・・・しかし、我欲の為にと成れば、疑問が出る。
昔は、町や都会・・・怖い処と言う認識が有った、その為に、気を引き締め、行く場だった・・・この思いが強いと、全く楽しいとは思えない・・・・
この部分も、現代は変っている。
以前も書いているが、他所に行くと、緊張する・・・一番、落ち着ける場は、村と成るし、我家と成る。
現代は、我が地域より、落ち着ける場が他にある人も増えている。
結局は、何処の何方か解らない人達が多々居る、場所が落ち着けると言う、価値観が増えていると言う事・・・
当然、感染症には脆弱な価値観と言う事に成る。
結局、考えていない価値観、防疫に対しても人頼りと言う事に成る。行政が国がと向かう。
昔は、家の中でも、居る場所が違う・・・食べる時も、各々に膳と言う形を取って居た。
一緒のテーブルで食べる等々・・・現代の習慣に成る。
特に、力がある人は、一人飯が一般的・・・・当然、人を側に近づけさせない、この様な立場が、力が有る人と言う事に成る。
要は、感染症等への警戒の為に成る。
今、商売人、当然、人の動きが無くなれば、商売が行われない・・・多々の人が動く、場が一等地と言う事にも成る・・しかし、感染症に対しては一番、危険性が高い場所と言う事にも成る。この部分を解って、その場を選んだなら、当然、数年分の貯えを作るはず。
儲かる場と言う事、逆に危険性が有ると言う事・・・
田舎は、仕事がしたくでも、人が居ないので、仕事が少ない・・・たまに入る、仕事の依頼で、収入を得る・・・結果、待ち時間が殆どに成り、効率が悪い場所とも言われる。
逝った、理髪師の叔父が言っていたが・・・朝あら準備をして、頑張ろうと気合を入れても、客が来なければ、収入は無い・・・之が、客商売と言っていた。しあし、高齢の人が、村内に床屋が無くなれば、我々は、町の床屋等には行けないと、言う、お客さんが居たから、死ぬ間際まで、店を開けられていた。一人の客の為に、店を開け続けると言う事にも成る。店が無くなれば、床屋に行けない????・・・当然、遠くに有る床屋にタクシー等を使っていくと言う方向に成る。序に、町で買い物と言う流れも出来る。要は、優秀な消費者が一人増えたと言う事にも成る。
村内で、全てが完結できた時代で無くなった・・・結果、他所に行く事が、求められる・・・結果、車が売れる・・・運転できない人の為と、行政がサービスと言う形でお金を使う・・・・・
多々のお金が動く世界に成ってしまった。
お金を多く使う、回す事が、本当に幸せに繋がるのか????・・・経済は活性化されるが、それが幸せには繋がらないと私は考えている。
又、先に書いた・・閉鎖的、価値観、悪いのか????・・・
今回の感染症の怖さは・・・病より・・社会の対応が心配と之も去年の最初に書いている。
先のブログにも書いている通り、平等と簡単に言うが・・・己と他人、同じと覆えるか???思えない人が多いなら、当然、差別は有り続ける。
一般的で無い、私は、異端児扱いを受ける、当然、社会からに成る、その社会は、平等と言っている。しかし、私は疎外感を感じている。
要は、社会が言う普通で無い人に、私は成っている。感染症に成れば、当然、普通で無いと成る。社会が言う、普通で無い人等、本来、居ないと私は考えている。
しかし、普通が存在するので、誰しもが普通を装っている。勿論、普通で無い部分を隠して・・・・今回の感染症も、社会に知れたら普通で無いと成る。その為に、隠す事が普通と言う方向に成る。
不思議である。普通を装うためには、人様に迷惑を掛ける可能性が有る事さえ、隠さなければ成らないと言う事・・・之が、有れば、当然、感染症は広がり続ける。
若し、感染症も仕方が無いと考えているなら、私は感染したと堂々と言えると思う。
言えない社会が有るなら、PCR検査等も、自ら進んで行おうと言う人も限定される。
若し、感染の有無を社会に公言すると成れば、尚更、検査を受ける人も減ると思う、平等と騒いでいる社会の中で・・・
現代は、人との距離感、現実部分は非常に近い、密と言ってよい・・・しかし、心は離れている。対話を恐れる為に・・・人との距離感を感じ、体だけは近づいてその空虚部分を埋めている。
東京の人との距離感の短さに、行く都度、私は驚いている。
勿論、田舎に有る、ファミレスの距離感も近いと思うので、人の少ない時間なら良いが、多い時間帯なら、無意識に拒絶している。
何度も書く事だが、私は、人様を信頼したいと考えている・・・その為に人を確り観察する事が必要に成る。
勿論、家族や親族は違う・・・信用するが、信頼は別問題と考えている。
信用とは、責任を己が担う覚悟が有るか、無いかと考えている。
しかし、現代は、簡単に信用と言う言葉を使う・・・信用したなら、騙される覚悟が有ると言う事・・・私は覚悟が無いので、信頼までに止めている。
しかし、人様の話を聞くと、テレビの報道を信用して等々と、誰とも解らない人を簡単に信用している。
信用するから、疑問が湧かない・・・信頼に値するかと、吟味等を行わない・・・
扇動や誘導に弱い、価値観が増えていると言う事にも成る。
病は全て己の責任が重いと私は、考えている。
しかし、昨今は周りに責任を病までも押し付ける方向に向かっている。
之を肌で感じる人は、今回の感染症の怖さは、社会の人々と言う事にも成る。
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