2021年1月10日日曜日

良い天気に・・・・

 寒波が過ぎたのか????・・・・良い天気に今は成っている。

滅多に雪が積もらなに地域に住む、私達は少しの積雪で・・・一気に交通がマヒする。

これも、地域の違いと思うし、各地域、環境が違うのが普通と言う事にも成る。

地域差が有る事が、当然だと私は考えているが・・・之さえも地域格差と言って、違いを求めないと言う風潮が有る。

しかし、格差とは・・この意味は、値打ち等の位等々の差と言う事・・・要は、違いは有るが、それで、各の違いに繋がってはいけないと言う意味だが・・・・人々の捉え方と言う事・・現実の違いは仕方が無い・・・しかし、人々の心に人格等の違いを地域と言う部分で行わない様にすると言う事・・・

之を、我子に説明しても当然?????なる。見える現実が全て同じと言う事が差が無いと思っている。

要は、命あるもの全て、私と同じ、命と捉える事が出来る、教育が必要だが、現実は、己さえ成長し・良く成れば、良いと言う教育が進んでいる。

これが有るから、現実の見える部分の差を埋める事が、格差をなくすと言う、方向に進むことに成る。

しかし、走る人も居る・・歩く人も居る・・・当然、足が悪い人も居る、動けない人も居るのが現実である。

走れる人は、走れる事が普通と思っているので、走れない人が居る事さえ気付いていない、共に走っている者と競っている状態で、後ろを見る余裕も無いと言うのが現実に成る。

私は、ブログ上で、我家も普通を書いている・・問題とは思わない、普通の出来事・・・勿論、私はそれで、難儀するし、悩みも増えるが・・・この部分は私自身の力不足に成ると考えている。

現実の中で、生きる立場、確りと現実と向かい合わなければ成らないと言うより、之が普通と言う事・・・・

又、分相応・・・私は、私のレベルが有るので、私の周りには同じレベルの人が多く居る事に成る。己の居る場所と成る。

先を競い合っているレベルの人は当然、同じレベルの人が回りに多く居る環境が、己の居る場所と成る。

違う場所には手が届かない・・・・届く場所だけは徹して守りたいと私は考えている。

私の居る場???・・・当然、分相応なので、己の足でギリギリ歩ける人達しか居ないと言う場所と言う事・・・・当然、歩け成る人も出て来る世界に私は生きていると言う事に成る。

その為に、歩け無く成る人も普通だと思うし、思いは有っても足が出ない人も普通に居る世界と思っている。己の生きる場所が、決まっているなら、この場所を守りたいと考えるのは当然の思いだと私は考えている。

しかし、若し、この様に人間の違いも認めない・・・平等であると、ある基準を決めてしまえば・・・・その基準、以下の人間は、人として認められるか???之が格差と言う事に成る。

マスコミ等で、耳に入る部分は、この基準を創りたかっていると言う、思いしか聞こえない。

又、声も出せない、情他に成っている人が、現実社会には私の住むレベルでは多々居るように感じる。

私には、人様に出来るだけ迷惑をかけないで、黙って死を待っているように感じる。

声に出せる内は、余裕が未だある。

しかし、余裕が有るから、対面・周りに気を使った発言に向かう、真実を言わないと言う事・・・・

真実・要は普通の真実は、己から言わない人が多い・・・その為に、聞く耳を鍛えるしかない・・感覚と言う部分に成る。

今、長く声を聴いていない、孫と電話で話を嫁がしている。

長男の最初の妻子と間に出来た子に成る・・・離婚後も、小学校4年生までは我家で過ごしていた時間が多い、孫達に成る。

他の孫に比べ、爺・婆は多くの時間を共に暮らした孫から電話が・・・・

爺バカだと思うが・・・・嫁に、直ぐに、お金を降ろしてこい等々、無意識に口から出ている私は居る。

今日は、バイトだから、後日と成ったが・・・声を聴かれただけで、涙が出る思いである。

爺に成って、多くに人が背中に乗っている・・・しかし、人数は多いが、背には確りそれをカバーする人たちも増えて来た。

要は、現実の手足と成って、行動する人達も背中で育ったと言う事に成る。

現実の責任は軽くなるが・・・・しかし、人の数は増えているので、相対的に背に感じる重さは、同じの様だ・・・当然、己が背負える限界が有る。このギリギリを今もしていると言う事・・・・

これも、逝った母が言っていたが・・・背負った重さが有るから、生きている・・・降ろそうと思った時は死ねと言っていたが・・・・その通りである。

孫との連絡が、結果的に私に、勇気を与えているし、今以上に前へと言う思いも出て来る。

背負うから、出て来る部分が有ると思う・・・・

私の孫の中で、私が現役で頑張っていた時代を知っている、孫が居ると言うだけで、幸せだと思っている。

苦労は、生きる財産だと思う・・・・一杯の思い出として頭に残っている。

キツク無かった事は、直ぐに頭から消去される、之が私の頭の様だ・・・・

良い思い出が無いと言う、悲しいと思えるかもしれないが、キツイ・苦労した事が悪いとは私は考えていない・・・バタバタしたし、必死に成れたし、楽しいとも思えるし、感謝とも思える。

今日は、孫からの電話、当然、感謝に成る。

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