昨晩も次男夫婦が来訪・・・・・
その中で、何時も思うのだが・・・・嫁を中心に事が進んでいる事・・・・
私の存在が、無に近い・・・・
その場に、居ない方が・・・・物事が楽しく進むみたいに感じる・・・・・
以前、嫁が、男は「黙って、出すものだけを出す」・・・これ以外に男の意味は無いと言っていたが、その様な感じさえ、感じてしまう・・・・・
社会的にも・・・・50歳後半に成ると・・・何故か、この感じが強く受けるように成ってきた・・・
最近は、全てを外から見ている感じさえする・・・・当事者感が薄くなっている・・・・
傍観者的な立場の様で、私の気持ちでは少し許せないが・・・・何故か、この方向に年齢と共に進んでいる感じがする・・・・・
この様な事も、先輩達から教わっていたので、何となく解っていた事だが・・・・しかし、少し寂しい気持ちもする・・・・
この寂しさを解消する為に、暴走するオジさん達が出て来るのも解るし、熟年離婚が発生する可能性も出て来る・・・
逝った母が言っていたが、力が有るだから何でも出来る、舐めるな・・・この方向に人は向かい易いし、特に男はこの方向性が有る・・・・だから、若い、一番、力が有る時に、謙虚に、力が無いと思い込ませる手段を探す事が大事に成ると言っていた・・・・
人の一生は上り坂も有り、下し坂も有る・・・・人は常時、変化し続けている・・・・その為に、上り坂で、向上し続けている時は・・・人様に何が出来たが大事に成る・・・・
この行動が、下り坂に成った時に、生きて来ると教わったが・・・・現実には下り坂に成った時は誰も見向きもしない、この様な環境に成りつつある・・・
この環境なら、上り坂の時には、我侭邦題の事をしていることが、得という考えも出て来る・・・
この時期に、富を溜め込み、利用して、下り坂に備える・・・之が現代に成っている感じさえする・・・・
このレベルが、個人単位での身勝手・・・家族単位での身勝手・・・当等の幅が有るくらいに成っている・・・・・
しかし、よく考えると身勝手が出来ることは、余裕が有るからに成る・・・・・
家族単位で、身勝手が出来ている時は良いが、若し出来なくなれば、身勝手を求めて、家族から出て行く人が発生しても、現代の価値観なら、当然と成る・・・・
男の悲しさがこの部分に有る・・・・家族が好き勝手に身勝手をしている・・・・之を許し、又与える男が存在している・・・・若し、その男の力が下り坂に成れば・・・・怖い、怖い・・・・
この人の動きに影響する、価値感・・・・損は絶対にしない、見ない・・・・しかし、得は貪るように求める・・・・
この価値観が、結果として、感謝の念が出ない・・・恨み・妬み等々に繋がって行く・・・・
人をどう利用するか、之が能力で決まると考えている人も居る・・・・逆に人にどう役立つ事が出来るか、之も能力で決まる・・・・・・この少しの考え方の違いで、大きな価値観の違いになる・・・
之を理解していれば、自ずと行動も変わって来るし目的も変わってくる・・・・
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