私の場合、立場が責務と大きく関係していると思う。一般言われる立場が有ると言う事は、責務が増えるという事・・・この様に理解している。
簡単書けば、立場、レベルが高ければ、責務が高くなる、増えるという事・・・勿論、肩書き・カラロブスペックが低い私は、社会的立場は低いというより、異端児扱い・・・その為に、責務の負担も少ないと思っている。
多々の責務を背負っている人達なら、口にも出さない当然・当たり前の事を私が、ギリギリ出来ている状態という事に成る。
責務が軽いはずの私も、還暦を超え、病を患い、当然、責務の部分も以前に比べ、期待等も減って、楽に成っていると言うより、無くなってきた・・・責務が無いから、今度は不安になる。不思議だと思う。責務から解放され楽に成りたいとも思っていたが、この立場に成ると、不安が何故か出てくる。
しかし、これからが、己の素の、責任感等々の、部分と思う。一人の人間として、生物として何が出来るか????・・・此処になる。
立場が有ると、その立場が結果として己を動かしていた部分も有る。立場的に行うと言う事・・・一人の素の人間として、どう振る舞えるか???・・・問われ出すし、今で何を学んだかに成る。
以前は、感じれる距離感しか、私の価値観の基準になっていた。
しかし、よくよく考えると、自己中心的発想になる。耳障りの良い、全ての人、全ての生物がと言うと捉え方が最近、解りだした。
昔は、直接、手を出せない部分を考え、思案しても意味が無いという考えもしていたが・・・・地球の裏の人さえと言う思いを可能に出来るのは、願う・祈る事しか無い・・・・勿論、私のレベルだとに成る。
現実には、私は優先順位が有る。しかし、思いとしては全ての人が幸せで有って欲しいと思っているが、この思いが、願いになり、祈りになっている。
リタイヤする年齢・社会の第一線から退き、本来の人としての素の責務を思い出す立場に成ったと思う。
直接、手を出す力も無くなってくる・・・残る部分は、祈りしか無い・・・先人が言っていた事が少し理解できるようになってきた。
私の様に、体が五体不満足に成ると、出来ない事が多々有る。でも、最後まで、出来る事は、祈ることだと私も最近、思うように成った。
祈って、現実的に何が変わるか~~~と若いときは思っていたが・・・その時は、言動が出来る、十分な体を持ってる事に成る。
この能力が無くなっても、人は生き続ける、何の為に、生きるのかと問うと・・・・・人々の幸を祈る事が、残されていると思う。
勿論、最後は解らない・・・今は、最後に向かって、歩いている最中になる。今後も変わると思う。
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