お世話している、92歳の老婆の施設に、今日は、私と妻とでお昼前から・・・・・伺う・・・・
施設長との面談も考えていたが、不在・・・・・・・
足を悪くしてあり、最近は歩行も大変な状態・・・・・・部屋に伺い・・・・・暫し語らい・・・・息子さんも今は大阪で、色んなボランティア団体のお陰で、生活支援を受けどうにか生活を続けられている事や、その件等で、弁護士さん達から、電話等が有り、対処している事も説明・・・・・
来月、伺う事を約束して、帰路に付いた・・・・
家庭の事や地域の事・・・又他に頼まれやすい性格なので色々で時間を作る能力不足の為に、施設に伺う事が、最近、出来ないで居た事に・・・・・・反省・・・・自分の能力不足に又挑戦・・・・
今日の語らいのさい・・・私には、二度と子供の顔を見たくないと言って有るが・・・・お互い可哀想に思う・・・・・
自分の能力を背一杯出して努力しても、各自の元々のレベルが有る。その点、現代の厳しい社会の中で、生きる為の、基本的レベル部分が少し足らなかった為にこの様になっている。
社会的に、少し配慮したり、手を貸したりする事が有れば良いが、逆にその様な人を利用している状況も今の社会には有る。
良く、福祉の問題で、関係ないと考える人も多い、しかし、健常者の基準も本来曖昧であるが、障害者基準は厳密にランク別けがしてある。障害年金を頂けないクラスの人も一杯存在する。
その様な人も生きる為に、生活の基盤を作る事になるが、健常者でも難しい時代・・・・人の協力が無くして、中々難しい・・・・・しかし、善人顔をした人達から、ボロボロに成るまで吸い上げられ・・・最後は、地獄の状況に成ってしまっている。
人として、差別はいけないが、人としてのレベルが確実に存在する。レベルの違いは有れ人が手を貸すこの部分が今は欠如している。効率化や高収益化等・・・普通間違いと否定できない部分を良しとしてその事に邁進を続けている。
本来、人としての価値観が少し変化している可能性が有る。自分さえ良ければ・・・この部分の追求に走りすぎている。
人々から優しさ、真心と言う部分が減少し続けている。厳しい競争・生活がこの様な方向にむけていると考えるが、何故厳しくなっているかの根源を考える人は少ない・・・・・・対処両方の方法論の限界は解っている筈・・・・・人が人としての本来の姿に戻る事だと考えています。
犬・猫さえ、子孫を残す、子育てをしている。勿論、生きて、生涯を全うしようと行動している。
その畜生より少しレベルが高い人間がこの事さえ放棄している人も居る。
畜生・餓鬼 以下の生き方が今の現代が求めているのかもしれないが、此の儘では地獄の情況に成るような気がして、私自身怖い・・・・・
自分を凄い・・・・その為の方法を全てする・・・其れを認めない人は潰し・排除する・・・・理想郷を妄想して求める・・・・結果・・・地獄で有る・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿