2023年4月2日日曜日

誰がために生きるのか???

 誰がために生きるのか???・・逆に捉えると、誰がために死ねるか???と私は、捉えている。

私も父母に解る様に、父母の為等々、口が裂けても言えない・・・特に己の命を懸けると成れば、なおさらに成る。

先の大戦で、特攻隊員として、10代後半の若人が、散って行った。残した遺書とには、父母、家族の健康、幸せ・将来に繋がる若い世代の育成を願っている文が多い・・・・若いから、彼らの視野は狭いと思う。誰の為か、当然、父母・家族、親族・地域位の広さげ限界だと思う。

この様な子達が・・・何の為に命を果てる、それを国と言う曖昧な言葉で家族を思いやっていると私は思って居る。

現実に国の為・社会の為に、命を懸ける人がどれ程いるか、これが正しいなら、当然、優秀で一流の人は、率先して遂行するはずである。

しかし、現実は、大きく違う、世間も良く知らない、家督制度の中で育ち、村社会の中で過ごしてきた人々・・・国の等々は、家族等への配慮で言っているだけで、現実に、己の肉親の為にが本当の思いだと私は思って居る。

私も、三流で、劣っていて、馬鹿と言われる、要は、年端も行かない年齢の人達と同じと言う事、私が、国の為、等々、漠然過ぎて解らない・・・現実に触れ、感じれる人の為と私の場合成る。

結果、差別主義者等言われるが、私は、この優先順位で考えているし、私のレベルだと、国は、遠い存在に成る。

先のブログでも書いているが、子は、社会の宝、国の宝と、マスコミ等で言われる。私は、己の宝だと思って居る。

この思いが有るから、無理でも生み、育てないと成る、その結果は、当然、自業自得と言う事に成る。

この部分まで、国が介入する、私は解らない・・・

要は、人は、生きる意味が有るし、役割が有る。要は各自違うポジションが有るし、立場が有ると言う事、当然、それを差別と言う人も居る。

何の為に、生きているのか、私は、人様から喜んでいただく、その為に仕事が出来、対価が頂けっる、幸せな世界だと思うし、これを死ぬまで、続けたいと思って居るが・・・先に書いた様に、立場も能力も変化し続けるので、それに応じた仕事に成る。

各自、仕事も違うと言う事・・・仮に、高齢者に子供を産めと言って、可能なのか????不可能、それなら子育ての介護、協力が高齢者の仕事だと私は考えている。この仕事量が多い事が、誉だし、この様に思って居るので、孫が10人等々が自慢に成る。

しかし、今は、苦痛の数字に聞こえる。何故か、西欧化された日本人の価値観、汗を流し、人様の役に立つ、尊い事だし、凄い事だったが、今は、馬鹿がする事・・・・優秀なら楽して、富を得れる、要は、仕事をしないで、苦労しないで、富を自由に使える事を幸せと刷り込まれている。

一神教の世界観に成る。

苦労は、馬鹿がする事、昔の日本は、苦労は、買ってでもせろと言われていた。人の何倍も苦労する事が、誉だったし、そのレベルに人を尊敬していた。今は、一言、馬鹿で終る。

人は、唯物的見掛けで、幸福が決まるのか????・・・私は違うと思って居る。

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