本来、代替わりして、私は隠居の立場が本来と思うが・・・・病で伏しているが、家長としての任を行っている。
勿論、この指止まれとなるが、私の指も折れそうだし、腐りかけているが、掴んでくれている人が居るので、家長としての任も、全ては無理だが、全うしようと思っている。
私は、恵まれている、折れそうで腐りかけた指を立てても、掴んでくれる人が居るだけでも・・・・本来なら、誰も見向きもしないと思うし、その様な価値観が蔓延している。簡単に書けば、この世に居る必要性が無い、不必要な人間という事・・・又、己のカタログスペックがその様になっている。
我家は、何故か、他の家との比較を子供達がしない・・その為に、隣の芝が良く見える等々は無い・・・・・結果、私に色々注文も強くしない・・・・感謝に成る。力が無い私の指を掴んでくれていることになる。
模し、一般的に、損得・勝ち負け・優劣論等々、当然、我欲を満たす方が目指すなら、私の指等、掴むはずが無い、直ぐに離し、他の指を求めると思う。
家族を纏める・・・・唯物的部分以外にもと私は信じている。
しかし、世界は、唯物的な価値観で支配されている。この指掴めとカタログスペックを輝かせる方向に向かっているが・・・当然、限界が有る。
要は、隣の芝が良く見え出す事を防ぐには・・・己の芝の手入れが出来なければ、相手の芝も荒れているという情報が必要に成る。
要は、改善を続けていかなければ、結果として、他を貶める方向に向かう・・・
唯物的な価値観の限界に成る。永遠と成長は、一個の生物としては限界が有るし、不可能となる、退化・老化が有る生物・・・・
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