持病の通院とリハビリの為に、二つの医院に行く事が今日の日課に成っている。
勿論、主婦業もこなして・・・・・今日も夕方に向かっている。
色々な事が起きる、生きている証拠でもある・・・・良い事・悪い事の連続だし、この部分は各自の価値観で、良い・悪いの捉え方も変わる部分に成る。
価値観の多様化の良い部分とお言える。悪い事を人が変われば良い事と捉える、このバランスが保たれていれば、社会もバランスが取れていることに成る。
しかし、価値観が同じなら、悪い事は、全ての人に取って悪いことに成るし、良い事も同じ様に全ての人がその様に捉えると言う事に成る。
現実的に、良い事・悪い事が連続で起きる。これを私は色々起きると言っている。
しかし、若し、良い事しか無ければ、色々な事とは成らないし、私は面白みも感じないし、生きている意味が無いと考えている。
意味を感じるから、生きているし、生きているから感謝と成る。
現代は、価値観の一極化に向かっている感じがする。
楽で思う通りに成る、之を幸せ・幸福と言う、価値観に成る。
若し、この様な人が、多々居れば・・・各自が己の思い通りに相手が成ると思い、それを幸せ・幸福と言う捉え方なら、当然、誰も幸せ・幸福な人は居ないと言う世界にも成る。
要は、感謝と言う思いが育たない世界・・地獄の世界と言う事にも成る。
地獄図を見ると、俺だけは助かりたいと、誰しもが蠢いている。当然、己の前に居る人の足を掴み己以下に落とそうと努力している。努力???何か意味が有るのかと思う。
何故その様に思うのか???私は、何い向かい助かろうとしているか???これが、一方向過ぎると思うからに成る。
要は、上に行きたい人も居て良いし・・逆に下に行きたい人が居ても良いと言う考えが有る。当然、その場に留まると言う人も居ても不思議でない。
しかし、現代は、上に向かう、之が普通だし、当然だし、正しいと言う流れが有る。
以前書いているが・・仮に山の頂上を目指す、目的は同じだが、ルートは無限にある。楽なルートも有るし、キツク・厳しいルートも有る。又、その捉え方も各自で違うし、多々ある・・・・之が、私は普通と考えている。
しかし、共い頂上を目指すなら、このルートと何故か、指図し正しいと後付けの言葉まで発する・・・之が不思議と私は感じている。
仮に、頂上に最初に立つと言う、競争をしていた。競う相手は、当然、見える範囲に成り、その人達より、少しでも前に行くために、中には周りの足を止める策を取る人も居る。
しかし、見えている範囲・・・山の裏からも人は登っている可能性が有る。人様の協力で、体力を温存し、最後に頂上に一人、上げると言う、策を取っているかも知れない。
当然、共に足を引っ張り合っている処と・・・共に協力し、一人を早く、頂上に立てる策を取っている処では、大きな違いが出ると私は思う。
リハビリに時間に成った・・・・・
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