この様は状況下で、五男たちは、友達と、我家で役肉パーティーを行っている。
当然、高校生の考え、肉は買って来ても、ご飯等々の、部分には意識が行かない・・・
何時も思うのだが、何故、金欠の我家でするのか・・・・
中二階の自室で、ベランダを使い、大騒ぎをすると思う。
後片付け等は、当然、我家がする事に成る。
この様な事も、何時まで続ける事が出来るか?????・・・出来る事に感謝と考えている。
高校生は来月まで、休みが伸びた・・・退屈も限界を超えていると思う。
町に繰り出せば、当然、お金も居る・・・お金が有る家は良いが、金欠の我家は大変である。
還暦に成る、私が親・・・少しは、親の力も考えて欲しいと思う。
下の息子には、この部分を私は話すが・・・現代っ子・・・上の兄達と対応が違う事を差別と思っている。
しかし、不思議な事に、良いと思える、区別に対しては、差別とは言わない・・・
対応に対して悪いと感じた時、差別と言う・・・之も、教育だと思う。
配慮を受けて、良い椅子に座れた・・・差別を受けて、良い椅子に座れた・・・同じ現象だが、配慮と差別の使い方で、感じ方が大きく変わる。
配慮を受けて、店に入れさせられなかった・・・・差別を受けて、店に入れさせられなかった。之も同じ現象だが、感じ方が大きく違う。
要は捉え方の違いという事に成る・・・同じ現象でも捉え方次第では、配慮と成り、又は差別と成る。
配慮には感謝できるし、恩を感じる・・・・しかし、差別委は、憎しみがでるし、恨みを感じる事に成る。
捉え方次第で、人は逆に、感じてしまう事にも成る。
この様な部分も、息子達には教えて来たつもりであるが・・・効く耳を持たない・・・
聞き上手だが、効く事が無い・・・・
私のお客さんたちも、大変な状況に成ってきた。
之が、意味する事は、備えろと言う事に成るが・・・・
それが出来ない現実もある。
私だけの家族でない・・・嫁も居るし、息子達も居る・・その全てが同じ、問題意識を持っているか????・・・・難しいと考えている。
要は、己の尻に火が付かないと気付かないのかもしれない・・・・
難しいのが、気付いたら????・・・その場から逃げる人が増えている現実もある。
その為に、最後まで体裁を保とうとする事にも繋がっている。
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