花見の時期に成り・・・・冬眠していた虫たちも動き出す時と言われる、今・・・
動けない、状況に成っている。
ストレスも溜まると思うが・・・・・・昔は如何していたか?????・・・・
私の幼い頃は、花見と言えば、市で有名な三柱神社・・・小学校の春の遠足も、その場所だった。
少し、年上の人に聴くと・・・・我が地域の納骨堂だったと言われていた。
数キロ歩く・・・場所より・・・・数百メーターの距離の場所が良いと言うのは、基本、徒歩で移動する前提が有ったからだと思う。
話を聞くと、納骨堂では、春の桜の花見・・その後はツツジの花の頃と・・・イベントが行われていたと言う事・・・・
要は一つ程の行政区内で、事が済んでいた事に成る。
盛り上がっていたと言われた、踊る人も居るし、盛況だったと、教わった。
隣・近所で顔見知りの人しか、その場に居ない・・・全ての人が知り合いと言う、環境に成る・・・勿論、良い事だけでなく、喧嘩に発展する等々有ったと言う事だが、それも仲が良い証拠とも言える。
二日前、我村の公園・・・歩いて三分程・・・次男が息子の自転車の練習で使っていたが・・・私も次男の下の孫を、連れて、見に行った。
桜は満開・・・・奇麗だ~~~~と声が出た・・・・
当然、我村には子供の数が少ない・・・その為に、誰も居ない・・・・
貸し切り状態で、公園を使えた・・・
少ないが、遊具も有る・・・下の孫と私は楽しめた・・・感謝に成る。
近場と言うより、足元に、色々な場所が有る。
感染症の怖さは、不特定多数の人が集まる場所・・・・之を避けるために、自室の籠る・・・・之もストレス等々も出て来る。
その為に、歩いて数分の場所に、ストレスを解消できる場所が有る。
又、その場所には誰も居ないこの様な場所なら、安心も出来る。
田舎に住む・・・少子化が進み、高齢化が進み、人口も減る、地域の良い部分かもしれない・・・・・
古い考え、価値観に成るかもしれないが・・・・区長とも話していたが、よそ者には警戒する・・・之が、一番の対策だと成った。
知らない人には近づかない・・・之が有れば、並ぶ場合でも、前が知らなければ、離れる・・・昔は、影を踏まない、距離と成る。
特に長と言う立場には、その程度の距離を保てと成る。
感染させない為と、己が感染しない為と、両方の意味が有ると思う。
当然、影内に入れる、身内の成る。
長い経験で、出来上がった文化を一気に崩壊させている。
知らない人まで、身内と言う距離感に入れている。
私は、変り者・・・・人が集まる場所を嫌う、性格が有る。
不特定多数の人が乗る、電車でも10分も乗れば、精神的にきつく感じる。
何度も書くが、私は人を信頼はするが・・信用はしないと書いている様に、信用が出来ない人が、周りを囲んでいる・・・怖さを感じる。
現代の教育は、平等を教えているが、それも人を信用する前提に有る。
己が勝手に信用と言う基準を決めて、信用していると言う事・・・当然、よくよく知れば、その範疇に入らない人が、多いと思う。
結果、よく知らない之を好むことに成る・・・・よく知らないから信用できる、怖くない・・・・だから、付き合える・・・一緒に行動できると成る。
私の目から見ると、これ程、怖い振舞いはないと考えている。
強い、法治国家だから出来る行為とも言える・・・全ての人が法を順守する前提に成る。
しかし、今回、感染症の問題が出た。
私は、戦時中と意識している・・・要は、生き残る、之が最初に頭に出て来る。
要は、必死や我武者羅に成ると、人は、自己保身に走り出す。
之が怖い・・・・
安心感を与える、方策をリーダーはするべきである。
又、各々、ストレスを溜めない方法の模索お必要に成る。
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