何時も書いているが・・・世間で言われる、普通は絵に描いた妄想と私は考えている。
妄想を適える為に・・・演じる人が多いように感じる・・・
私の家族も、その部類に入るし、私もその中に属するとも考えている。
普通の事は本来、努力も要らないし、演じる事も要らない・・・己の普通を振舞えば良い・・・・しかし、世間が言っている普通と違う・・・この部分を何故、埋める努力をするのか????・・・努力なら未だ許せるが・・・無理をして、粉飾までして演じるのか???之が解らない。
私の息子達が、今回の件で、己の嫁に、母親の普通を見せる事を怖がっていた。
世間が言っている普通とは違う・・・之を恐れる、教育がされていると言う事にも成る。
私は、人間、間違いも失敗も起こす・・・当然、家族も同じだと考えている。
私の感覚でも普通は、失敗も間違いも起こすし、それを隠そうとする見栄も有るのが、人間だと思っているし、之が普通と考えている。
しかし、現実の世間で言われる普通とは大きく違う・・・・
要は、私の家族も、世間が言っているの普通を、無理して演じている事にも成る。
何度も書いているが、誰が決めたか解らない普通に準じる必要が何故あるのか????
各々の普通が有ると思うし、有るから対話が必要に成ると私は考えている。
各々で基準が違うから、それを知る必要が有る。
仮に普通を決める立場が、上層階層の人なら、下層階層の人の振舞いは普通で無いと成る。
逆に、下層階層が決めた普通なら、醸造階層の人の振舞いは普通で無いと成る。
仮に、中層階層の人が決めたら、両方の階層の振舞いは普通で無いと成る。
勿論、階層・・・之も何を基本にしているかで変わる・・・意識レベル・経済レベル等々、色んな部分が、違うのか、人間である。
昔は、我村も共同風呂が有った・・・・全ての村人が基本、裸の付き合いをしていた。
その為に、普通が多々あるのを、子供の頃から私は経験できた。
夕方早く・・・風呂に入るのは子供達・・・・その中に、背中に絵を描いた大人が入っている・・・・近所のオニーちゃんである・・・・色々、質問も出来るし、その人の思いも聞ける・・・・要は、村社会に溶け込め無い人達が、悪ガキが風呂に入る時間に来られていた。
要は、その人達も、村人に配慮して居た事にも成る。
因習が古い、田舎の村・・・この村の普通が有ったし、それがこの様な人を創り出している。普通の範囲を広げる必要を感じたのは、幼い頃に成る。
普通で無いと、現代と違い、直接的・区別を受けていたし・・・それを、感じた時代にも成る。
私は、村八分的扱いも受けた・・・要は、父の振舞いに成るが・・・それを家で言う事が出来なかった・・・事を悪くする行動しか父は出来ない人と解っていたから・・・
父が思っている普通と・・・村社会が言っている普通とには大きな差が有ったからに成る。
父は、父が思っている普通を演じているだけ・・・人間は人が良過ぎるほど良い人・・・
村は、昔からの因習に従い、それを普通と思って、演じているだけの人達、当然、良い人ばかりである。
裸の付き合いが出来る環境でも、この様な状況だった・・・・今は普通を装って、己を隠す人達が多いように思う、社会だと感じている。
今回、後輩から、私も知っている、先輩の、娘さん・・・親とすれば、当然、己が思っている普通の生活をしていると思っていた。
しかし、そうで無かった・・・大変な事に成っていると、教えてもらった。
誰しも、同じ社会で生きているなら・・・人の振舞いを見れば、何かが見えるはず。
若し、所得を知っているなら、その所得でこの振舞い????と疑問を持つ事も出来る。
しかし、普通を演じ続ければ、気付かなかったとも言える。
洞察力が求められる時代に成る。要は、装っている、演じている、嘘で有ると言う前提で・・・見る目が必要に成っている。
当然、嫌われるタイプともなる・・・・
身の丈に合う・合わない等々は、本来、本人が解る筈だが・・・現代は、絵に描いた普通に準じる事が、普通と思っている。
無理して普通を演じ続ければ、当然・・最後は大きな破綻が来る。
この時に、必死になり、我武者羅に成り、普通を演じ続ける模索をすれば、最後の破綻は個人で解決できない大きさに成っている。
要は、必死になる我武者羅に成る、之が良い時と悪い時が有ると言う事・・・
私は、普通で無い・・・異端児として風潮しているので、対外的に振るうと演じる必要性が少ない・・・・しかし、他の家族は違う・・・・
この部分が、怖い・・・・
私が思っている普通の振舞いをして、気分を害する人が居ても仕方が無いと思う。我慢が出来なければ、指摘してくれれば、私も話は聞くし、指摘に従う場合も有る。
嫁や他の家族は、基本、他人様に対して、良い人を演じ過ぎている。
私は村内の事を手伝っているが、絶対に表に名を出さない・・・理由は嫌われているからに成る。
依頼される人も、私に理解できる理由等々を言われるし、それを理解したから行っている。
勿論、理解はしても出来ない事は出来ないと言っている。
依頼する人の中には、お世辞だと思うが。玄人好みの人だと私を言われる。
私は、己が有る、当然、他人とは違う・・・之を基本に置いているから、発言が差別発言と言われる事も有る。
影響を受けたのが、父に成る・・・父は第三者の目と言うより、言葉が全ての人・・・褒められると聞こえる言葉の為に、行動する。
結果、騙された・・・之を、私は身を持って経験しているので、教わったと成る。
しかし、父は、それが解らない、特徴が癖として固定化されてしまっている。
基本部分の変化は・・男手30歳だと私は考えている。それまでに、色んな価値観を生場なければ、固定化されてしまう事に成る。
何度か私は、懲りない人々・・・言っても見せてもダメな人・・・等々、書いて来た・・・人は有る年代から、固定化される、余ほどの事が無ければ、己の価値観を変えない・・・要は、癖と成る・・・・父が40歳の時に、私に言った言葉が「若木は曲げられる・・しかし、古木は折れる」と言っていた。
その為に、精神面、心の部分は、何時も若木で有り続ける必要が有る。要は、新たな価値観を求め続ける、貪欲さに成る。
しかし、世間は、一つの固定して人だと言う認識に成る。
その為に、私は村八分に有った人、異端児と言う子供の事のイメージも残っている。
結果、表に出れば、良く思わない人も居ると言う事に成る。
しかし、その様な環境が有ったから、今の私が有るし、現実にその場で生きている、この事は感謝に繋がるから、村の貢献も当然だと思っている。
之も、私は、この世に生きていること自体が、不思議と思っているからに成るし、普通とは思っていないからに成る。
基本が嫌われる、之で幼い頃を育った・・・色んな行事に顔を出すと、白い目で見られる当然の事・・・・しかし、それに参加できる、権利が有れば、堂々としていれば良いと考えている。
人目を気にして、権利を遂行できない・・・これが差別に成る。誰が己に差別心が有ると言う事に成る。
私は、何処の子馬の骨か解らない人が、急に入って来る、それも首から嫌われ者、異端児と書いた看板を下げて・・・当然、白い目で見られると考えている。
人とは違う、己が有る、私である、当然、異端児に成るし嫌われ者に成ると考えている。
嫁も同じである・・・人目を気にして、人に好かれ、人から讃えられ・・・又、その様な振舞い、又、与えて来て・・・己が困ったと成った場合・・・誰が背を貸すか???
彼女が一番嫌う、私に成る・・・人間でない、鬼とまで言われる、私しか背を与える人が居ない、
要は、世間に良い顔を見栄、装っていたも、要は、演技を、見ている世間・・・拍手をするが、それ以上の事は中々しない・・・・特に落ちぶれる方向なら尚更に成る。
私は嫌われるが、何故か記憶に残っていると、後輩たちが言う・・・彼達が周りから私の事を耳にするからと成るが・・・・・
不思議だ、嫌われるなら、記憶に残す必要もない・・・・
色んな組織や集団で、威張って居る人達は、何故か私を遠ざける・・・之も後輩が言う事に成る。
答えは簡単、普通で無いからに成る・・・・
要は、本来、人のリーダーとして、背負う立場の人間だが・・・寄生虫に寄生するダニみたいな人と言う事に成る。
又、その様な人が、普通という基準を決めている。
何度か書いているが・・・寄生虫側から見た普通と言うより、それに寄生するダニ側からの普通と言う事に成る。
現代の普通は、宿主からの普通で無いと言う事に成る。
要は、主が存在しない、雑が作った普通と言う事にも成る。
又、差別主義者と言われる事を書いてしまった。
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