私は家族に差を知る・・之を勧めているが・・・之を家族は差別主義者と私に言う。
要は聞く耳を持たないと成る。
私は差を知らないから・・差別が起きていると考えている。
先のブログにも、家族と言う単位で、大きな世界を考えればと書いているが・・・
同じ環境・同じ文化・・等々、個々の差が少ないのが家族に成る・・・
家族の各々のが思っている、普通が有るし・・・常識が形成されている・・
他の家族とは大きく違う可能性が有ると言う事にも成る。
各々に常識が有るし、宇通が有ると言う事に成るし、当然、差が存在する事に成る。
私の家族は、この差が無い、方向が良いと思っているし、それが差別を無くすと思っている。要は、差が無くなる事が差別を無くす方法と思っている。
その為に、差を言う事を差別と、捉えてしまう、価値観を植え付けられていると言ってよい
私は、この発想は、結果的に、差別を助長すると考えている。
必ず差は存在するし、それを気付けば、平等と言う差のない世界を求めていれば、差が有るのが悪い、それを作った、環境・社会が悪いと、他に責任を求めだす。
要は平等と言う、耳障りの良い、言葉が差別を生んでいる可能性が有ると言う事に成る
差を埋める為には、誰に合わせるかに成る・・・当然、己を普通と思っている人が多いので、己に合わせる事が、普通と成る。
成る訳がないと私は思うし、当然成らないから、それが不満等に繋がって行く。
集団の中で、生きる人間は・・・色んな人が居る中での存在と言う事・・・己だけと言う、利己に向かう、これ自体が差を広げるし、差別に繋がる行為ともいえる。
要は、この様な己だけ、狭い己の周りだだけ・・等々の意識が、結果的に、勝つ為の原理主義等々の向かっていき、格差を広げているが、それを肯定しるような環境も整えて行く事に成る。
単純な・・例・・・美味しい物が有れば、我先に取りに行く、之が人間だし、普通の行動、何処に問題が有るか・・・で決着する・・少し広げて、俺の周りだけ、美味しい物を得れば・・誰しも否定できない・・・という論調で、肯定方向に持って行く。
結局は、己の範囲の広さに成る・・・この広さを狭める方向に向かっているのが、現在である。
本来、宇宙の範囲まで広げる事が出来るのが、人間だと私は思っている。
優秀で凄いと言われる人は、この感覚が普通だと思う。
要は、地球を背負って、進んでいると言う、人である。
私が考える、力や能力は誰の為に使うのか????現代は己の為、又は己の周りの小さな範囲に成っている
勿論、力の度合いも色々ある・・・三流で劣って居る、私の場合、背負える範囲も狭いし、現実には、倒れそうになっているし、匍匐前進状態で進んでいる。
その為に、力を欲しいと思っている。
何度か書くが、20世紀で、己・己の周り・程度の価値観は終ったと私は考えている。
要は、自分と趣向が180度違う、人さえ・・どう背負うかが21世紀の課題と私は思っている。
20世紀は・・利己主義・己だけ、己の周りだけ・・同じ、仲間だけ・・之が基盤に事が進んでいた。
21世紀は、それが問題として、意識しだして、問題と成り出す。
何かを、探し出せると私は考えている。
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