2020年1月15日水曜日

小さな集団・・・家族・・

小さな集団の家族・・・この中でも、色んな考え・個性が有り・・・
昔、問題に成った。学校のクラス崩壊・・・之と同じように、家族崩壊へ進む、危険性を危惧している。

何故、この方向に成るのか????・・・一つは、環境が良くなったと言う部分が有ると思う・・・

死と言う、事を全く意識しないで、生活・日々を送れる、この様な時代に成った為に・・・集団に属している意味が、薄れ・・・薄れるに従い、集団に属するなら、集団を利用できる、立場を求める様になる。
集団の中で目立つ存在と言う事にも繋がる。

比べる相手・・当然、結果は己が良い・・・之を求めて、それが可能であるから、その集団に属する・・・逆に、比べ、劣り・劣等感を感じれば、その集団から離れる・・この様に成っている感じが私はします。

要は、集団の意味は、唯物的・利を得られるからという・・事に成っている。

この様な、環境に世界が成ったのは、最近の半世紀、程の間でに成る。
それまでは、命の危険が有るので、集団に属した、命を守る為の集団・・・之が大目的に成る。

集団の長に、三流だが、私も家族では家長と言う立場に成る・・・・家族を守る・・之が、私の責任だし、義務だと思っている。
しかし、守られている側は・・・この立場の意味が解っていない・・・

好き勝手な事を、行っているし、勿論、それが許される、時代とも思うが・・・もう少し、深く考えて欲しいと私は、願っている。

昔、私が中学校の、修学旅行先は、南九州・・・鹿児島・宮崎・大分と成っていた。
宮崎は、私の祖父母が、生きた場所・・・商売を行っていた地に成る。

その地で、伺った場所が、平和公園だった・・・その中に塔がそびえている・・「平和の塔」と言われている・・・壁面に像が立っていて・・凄く、重圧感を感じた・・・
平和と言われる塔だが・・・何故、こんなに、重い・・肩に重みが感じると感じるのが初めてだったし、少し、怖かった・・・その為に、少し、調べたら・・・八紘一宇の塔とも言われるとの事

八紘一宇とは、世界を、家に例え・・・どんな人種でも、家族として、平等であると言う意味と、私は覚えている。
勿論、家を守る、側も必要に成る・・・之を誰が行うか・・・本来なら、全ての家族が分担するのが本来と思うが・・・今は、恵まれているのか、無関心でも有るが、誰かが守らなければ・・・当然、崩壊する。

無冠詞ほど、固体ものは無いと私は考えている。

何度が、書いているが、蔑視される。除外される・・馬鹿にされる・・・之も人様からの関心が有り、その答えに成る・・・存在を認めてもらっていると言う事だし、三流と自分を思ってるなら・・・当然感謝に成る。

何の関心も持たれない・・この方が、私は怖い・・・・

マスコミ等々が行っている、情報操作は、人の平等を、個々の個人として考える方向が有るし、集団からの離れる、之を、自立だと言っている。

集団を崩壊する方向に向かっている。

人類の長い、期間で出来上がった、集団と言う部分が、崩壊に向っている。
勿論、新たな集団が現れる・・・守る・維持する者が居ない、欲だけで繋がっている集団に成る
昔は、烏合の衆と言っていた。
共に居るようだが・・個々は競っているし、争っている。
誰が、守り・維持しているのか???・・・鵜飼いに成る。

要は、動物的、集団と成っている。
倒れる者が居ても、気付かない・気にしない・・・死ぬ者が居ても同じ、何に関心が有るか・・・当然、利に成るし、美味い物を食べる、之に成る。

人間社会の、集団は本来、各々に、集団を守り・維持する、この部分を含んだ、言動に成る。各々の立場で、役割も違うし、分担する部分も違ってくる。之を現代は差別や、格差と言っている。

共に生きる・・・この意味も、本来は、お互いを守り抜くと言う意味が有るが・・・今は、一緒に居る事が、生きるに成っている。





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