次男の若嫁・・・・未だ体調が戻っていないと・・・・・上の孫を連れて来た。
孫も、保育園を休んでいる・・・未だに下痢が続いているとの事・・・・
ジジ・ババの役目・・・之が人には有るし、この部分も、人間としての寿命の長さの一つの要因に成っている。
本来、動物の世界では、生殖能力が無くなれば、其の時点が寿命と成っている。
しかし、人間の場合、子育て期間が長い・・・・当然、生きる為には、食を得る為の部分も有るので、子育てに、親が関わる時間も制限が出て来る。
運動能力は、若い人が長けている・・・・食を得るこの作業が若い人が長けている事に成る。
結果、子育ての部分で、生殖能力が無く成っている、立場、ジジ・ババの役目が出て来る。
この様に私は考えている。
生物は、基本、子孫を残す、この作業の為に、生きていると言っても過言で無い・・・この為に、生物は、色々な進化をしてきたし、又、選んできた。
考え様では、この子孫を後世に残す、この能力が長けている事が、生物としては一流と言う事にもなる。
考え様では、単細胞の生物が、この部分が長けているかもしれない・・・・・
大きな目で、地球単位で考えれば・・・・・単細胞生物の方が、変化が少なく、長く子孫を残し続けている。変化をしないでも、生きれる、この立場を望む人も現代では増えているが、しかし、人は、変化を続けた、多細胞生物の、頂点とも言われている。
環境に変化に対応できる為に、脳を発達させた・・・・之が人である。
結果、其の脳に与える、知識等々が増えだす・・・・其の期間が、子育て期間に成っている。
この様な、生物の、方向性で、人は生存の確率を増やす為に、知能を高める為に、子育て期間が長く成っている。
息子達には、親が強い内に、子育てを終わる様に、言っている。
現代でも、糧を得るために、仕事が有る・・・・・この部分は、子供が増えれば当然、増える・・・・この事は時間が無くなる方向に向う・・・・・子育てを行う時間さえ無くなると成れば、本末転倒に成る。その為に、人間は寿命を延ばした・・・・・ジジ・ババが居ると言う事だし、要ると言う事にも成る
現代は、この部分を考えない・・・・・その為に、子育てが出来ないから、子供をつくらないこの考えも出て来る。
又、晩婚化が進んでいる。
40前後で、親に成る、この様な人も増えている・・・・当然、40歳位の、其の親・・・・・70歳前後の親が夫婦で四人居る事に成る。
ギリギリ、子育てを手伝われる年齢になる・・・・若しかすると、親の介護が必要に成っている場合も出て来る・・・・・・同時に四人、これも有り得る・・・・・それに、自分の子供と、手が足る訳が無い・・・・・
親意外に、高齢化が進んでいるので、祖父母が居ると言う場合も出て来る。
自分より、上の世代の、介護の責任が、多く成って行く時代が現代と言う事になる。
当然、多くの子供を儲けていれば、良いが・・・・・一人っ子同士が結婚・・・基本、四人の親が居る・・・勿論、早く、結婚して、子供を儲ければ・・・当然、四人のジジ・ババが子育てを手伝う事が出来るが・・・晩婚で、儲けた子供の場合・・・・・親の介護と重なる事も出て来る。
この様な事を、親だから私は、子供達の話す・・・・勿論、私も遅く、五男は儲けた・・・・60を過ぎた歳に、高校を卒業する子供に成る。
彼の、子供を守出来るか????当然、不安が有る。
しかし、上の子供達は、自分の子供の様に考えてくれている、之が私の救いに成っている。
先ずは、親を頼る、これは当然な事だと思う・・・・親に頼れなくなれば、次は兄弟に成ると私は考えている。
この部分で、庇いあい処理をする。之が、世間様に迷惑をかけない生き方だと私は考えている。
この部分が、無ければ・・・当然、世間様に迷惑をかけるし、当然の権利と、行政の責任に押し付ける流れに成れば、国は、高齢者の面倒を看る事に成って行くし、子育ても国の仕事に成って行く・・・
何時も思うのが・・・・日本国は、義務教育として、小中学校を運営している・・・それ以外は、基本的には、その人の勝手で、選び求めて、している部分・・・・
しかし、現代は、保育園や、高校・大学まで・・・・行く権利が有ると言っている様に私は感じる。
之が、まかり通れば・・・全てを権利と言って、買い物が出来ない、する権利が有ると、国に、買う場所の提供を要求する流れに成る・・・・
仮に、若し、義務教育が無く・・・全て自己負担・・・教育も親の金次第に成れば・・・・今有る、問題も解決する・・・お金が無いから仕方が無いで終わる。
仮に、買い物をするお店・・・・商売だから、儲けが無ければ、出店はしない。
儲けが、確約されているなら・・・・・山奥の、一軒の家の為でも、お店を作る事は可能に成る。
その一軒が、儲けを負担する事に成る・・・・・之が出来ないから、国に求める、これは少し話が違うと私は考えている。
義務教育は、国の負担が有るので、その様な、部分でも、手を差し伸べている。
しかし、義務教育以外の部分は、先に書いたお店と同じだと考えている。
しかし、殆どの部分が、環境が・・・・と周りの責任にして、自己の責任を放棄して、国に求めている感じが私はします。
私の地域も、田舎だし・・・・過疎化が続いていた・・・・当然、買い物をする場所が、無くなり、車が無ければ、生活難民の成る地域に成っていた。
今では、歩ける距離に、全てが有る、地域に成って来ている。
又、人口も増え続けている。
この流れを、絶やさない為にも、何かを考え、将来に向けた、思いだけでも、表現し続けることだと私は考えている。
子供には、お世話に成った、地域・社会には、必ず、恩を返せと、言い続けている。
当然、人も・・・・・
理由は、人は順送り・・・必ず、順番が来る・・・その時、慌てない為にも、確り、順送りを見続ける事が大事だと・・・・
この部分を、見せるのも親の務めだと私は考えている。
自分の番が来たら、確り取り組む・・・又、次の番の人の為に、少しでも改善方向で、引継ぎをする。
之が、結果として、将来が明るい方向に向う、策だと私は考えている。
現代は、この部分を、知らないし、気付いていない、結果、急に番が来た、これで慌てて、最悪逃げる方向性を模索する。
見本の親が、この行動を取れば、当然、子供のこの方向性になる。
この行動が、結果、先が暗く、困難方向に向けている事に成る・・・・この困難に成った、この責任が、環境や国と成る、之が私が解らない点に成る。
人は順送り、人以前に動物であるし、生物である・・・・この部分も順送り・・・・之を無視した考えでの行動は、生物としての人を否定した生き方に成る。
否定した結果、問題が当然発生する・・・この問題が環境・国の責任・・・この道理が通用する世界に日本国は成って来ている。
その為に、現代はサービスを当然と思っている・・・又は、権利だと思っている人も増えている。
国の行政等々の個人に対する部分は、サービスに成る・・・・この意識が強く成っているので、人の真心等も、感じないし、当然と思う人も増えている。
私の仕事も、殆どがサービスに成る・・・当然、現代だから当然と言う意識が強いし・・・感謝等の意識も少ない。
この流れなら、サービスを行う人が居なくなる事に向う、必ず対価が無ければ、何もしない。この流れになる・・・・この国民性に成れば、当然、国もこの流れに成る。
私は、子供達に、世の中の状況を見れば、自己保身方向に進んでいる・・・・又、利己主義が益々、強くなる・・・この様な社会に成れば、当然、国もこの方向に向う。
之が意味する事は、人が人で無くなり、争いが増える方向に向う・・・理由は、単純生きるためと言う論理に成って行く・・・・
この様な、時代に成れば、益々、家族・血族が大事に成って行く・・・・・
特に解り難いと思うが、人は強い時は気付かないが、弱くなると、行動力も無くなる・・・この事は、誰かが手助けしなければ、先に進まない状況に成る時が有ると言う事・・・
その時に、現代の流れなら、他人が手を貸す、この流れは期待で出来難い、幾らお金が合っても、お金を貪る為に寄ってくる人は居ても、本当に、手助けを考える人は、少なくなる時代と言う事になる。
人・特に、兄弟等々の親族には、手を差し伸べる、余裕を持つ事と言っているが・・・付き物、嫁の価値観が今後の問題に成る。
私は、何時か死ぬ、当然、子供達が現役でバリバリ動ける時に成る、可能性が高い・・・・
其れまでには、私の父も確り看取ってからと考えているが・・・・現実は、解らない。
子供に残せるものは、私は自分の生き様だと考えている。
些細な事で、人を判断しない・・・・最後まで、信頼を続ける努力は必要と言う事・・・
又、人を簡単に信用しない事・・・・信用するから騙されたと言う思いが出て来る。
親子・夫婦であっても・・別の人・・・自分と同化して考えない・・・・
人は、多々の個性が有るし、当然、欠点も利点も有る。
若し、自分の思う通りの、人が出現したら、徹底して、勘違いと自分の見直す・・・・・
この様な、考えだと・・・・どんな悪ガキの息子でも、見捨てる事は無い・・・同じ事で、人を看る事・・・・
難しいと思うし、現実に難しい、如何しても自己保身の命が頭を持ちえ上げる・・・・
之を、抑制する為には、全ての負は自分が背負うという、出来ないが、気持ちだけは持つ事・・・
之が出きれば、人を怨むことの無い、幸せな人生を送る事が出来ると私は信じている。
益々、厳しい時代に向うと私は考えている。
仏教には、末法思想が有るが・・・それに準じている世界に成りつつある。
人は、知識や知恵を増やし続けて、何に使っているか・・・世の為か、自己の為か・・・優秀で一流の方向に、頭は成っているが・・・この部分が、違うと、先が変ってくる。
私は、マダマダ、苦労が足らないと考えている。もっと、大変な苦労を経験して彼の世に行く、これも今世の楽しみだと考えている。
有る人が、生きた証、其れは苦労だと言っていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿