2015年10月11日日曜日

お留守番・・・・・

今日は、早朝より・・・・・五男に付添って、ドッチボールの試合で、嫁たちは大分へ・・・・・

四男は、中高生のドッチボールの大会で筑後市へ・・・出かけて行った・・・・

私は、何時もの様にお留守番・・・・・

子供達が、昨日も大勢・・・・我家に押し寄せた・・・・・・今日は、来ない事を祈るだけ・・・・

他人様の子供の、守は気を使う・・・・30代・40代の頃は、対応できていたが、50歳を超えると・・・・・一気に感覚が変った・・・キ・キー・キャーキャーの声が、耳に堪えるように成って来ている・・・・

我子の場合、一緒に生活している為に、対応力が有るし、逆に楽な部分が多々有ると思うが・・・・他人様の子供の場合、対応出来ない、この事に最近、強く感じている・・・特に集団に成った場合、特に難しい・・・・

子育ても、若い内に済ませていた方が良いと思う・・・・結局、子育ては、我子だけとの関わりでは済まない・・・・子供の、環境も含みで見て行く形に成る・・・・・

人の、一生の中で、歳・・・之は、大事な部分・・・・・何歳で何をするという物が有る感じがする・・・・

この部分を見失うと・・・・・子育てと親の介護が、同時に発生する等々が起きる・・・・

機械的な、経済原理が基本に成っている時代・・・・・・生物としての、人の生き方を確り考えた、原理や原則が、薄れてきている・・・・・

自分の足で立てる、この状況は、一生のうちで一部分・・・・この部分を延ばす方法を模索しているが、現実には、立てない時期が必ず出て来るし、乳児の時はこの状態・・・・・

又、意識が確りしていれば、未だ助かる部分・・・・・痴呆症等々も有るし、成る可能性は誰しも有る・・・・

本来、人の生物としての問題部分は、家庭で管理・介護をしていたが・・・・・其れが晩婚化や少子化で等々の、社会の状況が変り・・・・・誰がするという考えが蔓延している・・・・

この部分まで、行政や国に頼りだせば、最終的に、国の奴隷と成る方向に成る・・・・・

利用しようとして、逆に縛られる方向に・・・・懸念する部分である・・・

家族の有り方と言われるが・・・・・人としての有り方が問題と私は考えている・・・・・




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