物事を対比で考えるし、その基準は効率や現実に見える数字に成る。先のブログにも書いているが、白人なら許される事も、有色人種なら、認めないと言う価値観が、根にある。理由は、神は神の姿を模して人を創ったと成っている。神に近いのは己だと先ず最初に思うのは当然、しかし、キリストは赤い肌をしていたと言われる。中東インド人種だと私は思う。自分中心に考えるのが人である。人には全て可能性が有ると私は考えている。今の私の状態でも当然あると思っている。この部分が無くなる。方策を国や集団がする。理由は価値観の統一化やガバナンスを高めるためと言う理由で。ビクビクして過ごす事が増える。本来、可能性へ向けての挑戦は!!!無謀だし非論理的に成る。しかし、勇気が有れば。希望が持て、将来へ進む喜びも得る。しかし希望を持たせない政策等が続く堅実だし、論理的だが、それでは人は満足しない、だから、私は己の事を変わり者の偏屈な異端者と思っている。要は一般に準じないで良い思っている。人の目等を気にしないで己の思いで突き進むことが出来るし、楽しい・・・この楽しさを感じるから、希望も出るし、勇気も殆ど必要もなく行える。がんじがらめに成っている人が、勇気が出難いし、希望も持てない方向に成る。幼い頃から、型にはまる事が求められ、出来ればその範囲で一等を取れと言われ続ける事が人の生き方学んだが、私の趣向に合わない・・・いろんな生き方が有っても良いはずと、世捨て人の様に廃人状態で生きていた時も有る。その時は、天罰と思えるほど、何度も死にかけるようなことが起きた・・・・私は生きる目的が解らず、何時死んでもよいで危ない事も進んで行っていたが結果的に生き残った。その都度に、己の為には生きれないし、目標にもできない・・・・人様の為に生き目標にする。この気持ちに傾いた時に父の自衛の倒産・・・多大な債務を父が背負う事に成る。その時、父の大きさが小さく見えた。俺が責務の一部でも背負わなければ父は倒れるか、死ぬと思って居た。真剣に仕事を探し、就職、ダメダメ会社だったが、変革しないとと、社員私一人から20人近い社員数に成って退社した。務めていた時にお客さんの為で必死に動いたのが今の私の源泉になっている。人は周りが有るから生かされている。平等意識が強いなら、当然、敵味方論方向に成らないはず。私には無い部分に成る。結果として周りから教わることに成る。己に取って耳の痛い言葉ほど真剣に捉え、叱咤として己のケツを叩くことに成る。
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