五男から電話・・・・夜勤の嫁を迎えに行き・・・昼食の準備・後片付け等の家事を行い・・・嫁は、直ぐに寝入ってしまったが・・・無事終了・・・・・少しユックリしている時に、五男から電話・・・・島原から帰る、勿論、船でのようだ・・・明日、日曜日なので、一端、帰宅という事に成ったとの事・・・三時に、三池港に迎えに行く事に成った。
今、私は、ヒモの様な生活を行っている。嫁から女々しく成ってると注意されるが・・・・稼げないと言う部分が、私の場合、汚点に感じているので、女々しい、小さな事が気になる。結果、色んな部分に気が行き、片付けなければとなるが、体が言う事を効かない為、出来る部分だけでも家族の役に立ちたいと行っている。
又、嫁も家の糧を稼ぐ立場に成り、お金が己以外に使われている事を気持ちよく感じないようだし、与えたのに無駄にする等々有ると、やはり言い思いは無いようだ・・・以前は全て私の背に乗っていた部分・・嫁は些細な事位でと、簡単に言っていたし、私の振舞が女々しいと何時も言っていた。要は問題に対して対応力が無いから、その様な思いが有る、己に力が有れば、女々しくも成らないと、頑張っていた時代が、今では羨ましく思える。今は、己の為に、多くの人、家族に迷惑を与える立場に成ってしまった。この立場に成って、変わったのが嫁・・・私が~~~と言う思いが強くなっているようだ・・・・
人は、人様が要るから生きられる・・・居なければ生きる事が出来ない。
大事な人様という事に成る。大事なら、己の能力で何が出来るか???稼げる時は、糧を与える。走る力が有るときは、人様の足に成る。言葉を発すること、要望を伝える能力が有るなら、人様の思いを伝える。等々、出来る部分が多々有る。
私も、指定難病の病に成り、出来ない事も多々増えた・・・・元々、右目は視力が悪いと言うより中心部が濁って見えない・・・・遠近感も目視では解りにくい・・・・最近何度が、体調のことを書いているが、手の震えの為に、精密な事が出来ないし、己の名も書くことが出来居なくなってきた。
生きていても意味が無い存在だと、私自身は思っているが、何か役に立てることが有るなら、生きれるとも思っているので、出来る事を探している。
こんな私を見捨てずに、居てくれる家族・人々が居る・・・今の時代なら恵まれ過ぎていると思う。要は、幸福な環境に居るという事・・・感謝以外ない!!
現代の価値観、要はお金の損得勘定で全ては判断する、利口な生き方を求めている人が多い、この様な人の中で、私の様な存在は、必要性が無い人間に成る。当然、捨てられ・忘れ去られる存在という事に成る。
先に書いた利口の意味なら、私は対義語になるが、馬鹿で有りたいと思っている。
「禍福は糾える縄の如し」と言われるように・良いとき悪いとき、全てが合わさり人生となる・・・それをどう捉え感じるかが、本人の責任となる。良いときに何が出来たか????その反対が悪いとき何が出来るかになる。
自業自得、此も今世だけで完結しないのが、生命の不思議だと私は考えている。
今世で何が出来たか???此が来世に関係する。
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