2023年2月25日土曜日

唯物的な夢は叶った・・それ以上の世界・環境に住んで・・・

 幼い頃、今も貧乏だが・・貧乏の度合いが違っていた。

物が無い・・・何度が書いているように、家の中と外との差が無い・・・雪が降れば、部屋にも雪が舞い込む状態・・・当然、暖房も、火鉢・堀こたつの時代・・・火を使う為に、寝る夜は使えない・・・湯たんぽ位しか暖を得れる物も無かった。

私が生まれた時代が、日本国でテレビが一般に普及し出す時代。

月給、田舎の為に2~3万と言う時代に、6万以上の値段がしていたが、飛ぶように売れていた時代でも有る。

三種の神器と・・・・テレビ・冷蔵庫・洗濯機が一気に普及した。

当然、それ以前に私は生まれている。その為に、家事などは全て手作業の時代・・・母が毎日、行う、女の仕事的な状態に成っていた。

男は、稼ぎ手として、外で働き、糧を家に齎すために仕事を行うと言う状態・・・全て家を守る為が優先順位で高い所に有り、個人はその下の下と捉えていたと思える。

その為に、物欲は強い、夢に見た、未来の姿に物理的・唯物的には成ったと言うより、夢を超える状態に成っている。

物欲を求め、得た結果、幸福になれたか????・・・私は、疑問が有る。

昔の方が、幸せと多々感じられた、要は、感謝の思いが昔の方が強かった。些細な事でさえ、嬉しく、舞い踊りたい様な感謝の思いが有ったが・・・物に埋もれだしてから、この感覚が持続できない、一瞬で終わる。結果、貪欲さだけが残り続ける、餓鬼道の生き方をしているようである。勿論、餓鬼道が好みという人も居る。畜生道が好みという人も居る。修羅道が好きという人も居る。しかし、地獄道が好きと言える人は少ない・・・本来、書き・畜生・修羅等々の陥りやすい、世界が地獄になる。

要は、気付いていないという事・・・物に埋もれ、なに不自由なき環境を手に入れても、それは、唯物的な部分だけで、心、唯心的部分を満たす幸せ感が得れないという事に成る。

物が足らないからでない、考え方、価値観の起点の差が、感じ方の大きな違いになる。

物が足らない、モットと言う思いが、欲を貪る貪欲さになるが、己がその状態だとは気付いていないから怖いことになる。

今来、なにを得たいのか、幸福感と思う・・・・幸福とは感謝だと私は思っている。だから、多々の感謝の思いが出る、捉え方が幸せ、幸福に繋がると私は思っている。

今と比べると、なにも無い時代の方が、幸福感を多々感じていた。

勿論、何度も書くように、空腹だったので、他所の作物も盗んで食べていた。当然、叱られるし、叩かれる・・・自業自得だし、空腹を埋める方法は、目の前に有る物を食するしかない・・・当然、お金の大事だも学ぶし、学んだから、新聞配達等の糧を稼ぐ事も、子供頃から行っていた。

お金が有れば、空腹を叱られたり・叩かれたりせず得れるし、有難うと感謝される。お金の力の凄さも気付くし・・・何の為のお金なのか????此も、感謝を得たい、又与えたいと言う方向に私の場合成った。

理由は、稼いだお金、当然、家の糧に成っている。己で使えるわけが無い・・・この部分を、己の中で消化するために、両親が喜び、感謝している筈だと、思うようにしていたし、その気持ちが己の誉れとも思っていた。誉れが得て、増やし続けられる・・・幸せが幸福に向かっていくと勝手に思っていた。

此も、書いたが、己が稼いだ金、俺がどう使おうと俺の勝手と、一度は言いたいと思ったことが有るが・・・言ったからと何か変化があれば、その方が怖い・・・・

お金に、私は一生、縁が無いと思っている。しかし、何故か、幸せに生きられている。此も不思議と思う。


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