私は鬼畜の命を持っているので、どうしても幸せもこのレベルで思い込んでいる。この思い込みを人間レベルに上げたいと日々、模索することに成る。
鬼畜の命の私が思う、幸せは、基本全てが形になる、優位物的な物と言う部分になるし、何を手に入れたか、その優劣も、結果的に他人の持物との対比になるし・・己の思いより、周りの評価で、勝っているという物を持つことが幸せと勝手に思い込んでいる。
この鬼畜の命が、結果、何度も書くように、負け組を創り出している。
己は、誰からも良い評価を得る優れた立場・優秀だし一流に成っていると思い込んでいる。
しかし、現実に優秀で一流なら、他の価値観、反する価値観等々も容認受け入れられる器が有るはずだが・・・
見せかけの優秀・一流の為の、己の価値観以外は認めない、排除する力が有るという勘違いまで起こしてしまう。
この様な人が幸せなのか????・・・此も捉え方になる。
本人は幸せの筈と思い込んでいる、しかし、充実感、満足感が無い為に、際限ない我欲を求め続けることになる。当然、永遠に満足感は得られないと私は考えている。
私は、この様な生き方を不幸と思うし、私自身の中に有る、鬼畜の命が此を求めるために、人間レベルに早くなりたいと考えている。
人は、人まねで成長し・大人になる、当然、価値観をすり込まれていると言うことにも成る。
誰のマネをするのか???馬鹿・異端児と言われる人のマネをするのか????利口者のマネをするのか???・・・この答えが将来・未来の人間を創っている。
今世 と言う・・・与えられた時間をどう使うかが、問われる。
私は、我侭だし、基本自己中・・・だから、己の為に、今世の生き方を考えているし、それが来世に繋がっている。
己に取っての利が各自で違う・・・私は来世に向かっての利に成るし、過去世の業も解消する今世で有る。
当然、己の為になるし、来世が有るなら、私が思う良い環境で生まれたい、勿論、環境は社会でも有る。
良いか悪いかも、捉え方になるので、今世の世に対しては、私の目を開かせてくれた社会や環境に対して、感謝になる。
平々凡々に生きていたら、気付かなかったと思う。
しかし、この様な考え、生物・人間なら解るギリギリの部分、機械的、思考になれば、思いもしないことになる。
簡単に書けば、入力に対して、最善の答えは一つ・・これが機械的になるし、答えは無限だし、180度違う答えも存在するのが、生物の人間に成る。
要は、何度も書くように、己が此で良いと思えれば良いこと・・・人からの評価等はどうでも良いこと・・・・
嫁を迎えに行くことにする。
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