2022年11月13日日曜日

最終的に結果・評価???

 先のブログに、小学校一年の時、先生からの問い、電車にハンドルが有るか????・・私は進行方向を変えるハンドルは無い・・速度等を制御するレバーは有ると言う見解を示したが・・・・クラスの中で、私一人の見解・・・他の学友は、ハンドルが有ると言う見解に成り、私は馬鹿・嘘つきとまで言われるようになり・・当然、他のクラスまで噂が広がった。

私たちの時代、余ほどでなければ、電車等に乗れない・・・食料にも飢えていた時代、脱脂粉乳が給食で出されていた時代・・・

誰かが、ハンドルが有ると言った・・それに同調する人が多々居たと言う理由で、正解かは判らない・・しかし、私一人対、クラス全員・・当然、先生は答えを言われず・・・嘘つきで大合唱が続いていたのを収めることで手一杯だったようだ・・・・

この様な、経験を同窓生はしている。又、教育も左寄りの先生が多くて、綺麗ごと耳障りの良い、当然、子供にも良い方向での話が多かった・・・旨い水の話に成る。

この様な教育を受けた、我が年代・・・全体主義が基本に有るが、個人主義が支配している。

しかし、己の意見や思いより・・・周りから如何評価されているかを気にしている。結果、私の様に評価を落とす、言動はしない、

個人主義と思ってるが、社会の中では上手に溶け込む、個性を消す方向に向かっている・・・社会が大事だからでない・・個人・己が大事だから、この方向性、個人主義も己が嫌われない為の振舞だし、結果とし個人の個性が見えない、出せない、苦しい生き方だと私は思う。

私の年に成ると、同窓の者が亡くなる等々が有る。

その都度、生き残った、同窓生は、死んだ学友に負け組の様に言う・・・

死を負けと思っているし、病も負けと思っていると言うより、その様な教育を受けている。

結果として病や死が有る。しかし、因が必ずあるし、因を知ることが出来るのが、縁が近い存在と思う・・・友を思い語らう・・この様な事が無いのも現代の流れの様だ・・・

要は、結果・・・参列する、理由は学友だから・・この見える振舞だけしか教わっていない・・・当然、これが出来ている人も減っていて、今はいろんな理由を付けて参列も拒否する人が増え続けている。

結果、葬儀も、家族相当に向かう事に成る。

私たちの時代の教育は、勝ち負け論・・勝つ事を求められていた。

当然、誰に勝つのか???・・・・平等主義者に見える先生に聞くと、答えは、己に勝てと言われる・・・小学生に意味が解らないと成る。

当然、見える相手、敵を創る事に成る。その敵に対して勝つ、これを求められていると錯覚を起こす。

この様な価値観で、人生の大半を過ごし、子育てもして、後継者も育てた、当然、どの様な後継者が育つか???想像が出来ると思う。

結果、現実を見せない、学友が増えている。目の前に見えている学友は裕福に見えるが、噂や情報等で得た内容と違う言動をする。

学友に対して心配かけたくないと言う理由で行っているなら、許せるが、バカにされる。負け組と思われる、嫌われると言う、自己保身の為の振舞だと、学友として良い気分は私はしない。

又、生きていれば当然、起きる・・・原理原則の死や病までも、負け組だから起きると言う発想・・・・当然、死ねないと成るし、病に成る事も許されないと成る。

こんな生き方が本当に可能なのか?????・・・

現状を見ると、渡るべき川が有る。出来もしない橋を夢見て待っているより、泳ぎを覚えた方が私は良いと考えている。

水に濡れる事は良い事とは思わないが・・・それより、対岸に行きたいと言う思いが強ければ、私は泳ぎを習おうとする。

仮に、橋を夢見て、何をするか???凡夫な人間なら、神仏に縋り祈ると思う。現実に、神仏が手を下し橋を建設する姿を見ることが出来るか???出来ないことは解っている、だから、縋り祈ると言う行動に成る。他力本願的価値観に成るし、当然、この様な価値観なら、見えない神仏にも縋れるなら、見える現実の人間には、当然、寄生しようと思う事に成る。

本来、宗教とは、神仏の要望・目的に応える、これが信者に成る。

しかし、時代が進むに従い、縋りつく相手と成っていく・・・その方が信者を集めやすいからに成る。

要は、当初は、苦や悩みを背負う、苦労することが信仰だった・・それが、己の怠慢を許していただき、当然、結果は実らないが、実る事が信仰の力に成ってしまった。

楽して儲かると言うシステム・・・儲かるなら、この程度の手出しも仕方が無い・・・これが現代の宗教観に成っている。

若し、これを否定してしまえば、人間レベルが上がっているなら良いが、現状のレベルなら、信仰をする意味が無いと成る。

要は、何度も書くが、良い事、楽で利を得るための信仰に成っているからに成る。

友が、何度が書いているが、波乱万丈に見える人生が私らしい・・・しかし、自分らしく、自由に生きている。幸せに見えると言われる。

三流で、嫌われ者、異端児で、力も無い、お金も無い、不幸を絵にかいた状態だが、何故か、幸せと言われるし、私も周りに感謝できるので、幸福だと思っている。

当然、老いていくし、病も大変な方向に向かう、それでも背負っている人を徹して守りたいと思いは有る。問題は体が持たないと言う単純なことに成る。

若くて健康な肉体が欲しいから、後継者を育てたいと言う欲だけが残り続けている。

要は、先人達は何を残したか????恨み・妬み・苦を残したのか???又は、逆に感謝を残したのかで、将来が変わる、未来が変わる。

私は、死の瞬間に対して、感謝を世に残したいと思っている。

その為には、生きている間が大事、結果は死だが、因の部分、生き方が大事と成る。

生き方の答えが死の瞬間・・・



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