2022年11月13日日曜日

可能性の高い事に備える・・・

 何度も生物は「生老病死」から逃げる事も避ける事も出来ない・・・人間なら、知能が高いので、解っているはずだが・・・何故か、備える・覚悟等々が無いし、出来るだけ考えない・・触れないと言う方向にしている。

何度が書いているが、将来の事、粗100%の予言も必ず、生命は、右下がりの時が来る、当然、己だけでの対応できない・・・人様に迷惑・お世話をかける事に成る。

これも、理解し解っていると思うが・・・何故か偶然にも,運がよく、右肩上がりの時にどの様な言動をしたか???

己だけの為の右肩上がりを目指し、目標を達成したら、当たり前の様に己にご褒美を与える・・・ご褒美は????・・人様に尽くす・与えると言う価値観の人は、右肩上がりは、先に書いた様に、運がと思っているので、右肩上がりで出来た余裕は、人様・社会に貢献できる。

要は、右肩下がりに成るときがくる・・・その時の為に、備える・・・

最近、何度が書くことだが、漫画、バカボンの登場人物「レレレのオジサン」が私の今の目標に成っている。凄い人だと私は、勝手に思っている、菩薩の振舞に見える。

私の父は、幼いころ、映画や街を歩く若い人たち、特に、肩で風を切って歩く、痰を道端に吐く・大声で威嚇する・・・この様な人に憧れていたと私に、話したことが有る。

チンピラに憧れ、目指したと言う事にもなる。

理由は、強そうに見えた、力がある様に見えた・・・結果、人々が頭を下げ、後ずさりする。

この様な立場が、格好よく、凄く、優秀で偉い人だと父は捉えていたと言う事に成る。

当然、その様な人の生き方を模倣する。結果、人様から一目置かれている勘違いをする。現実は怖がられているのだが・・・この違いを理解できない。その実子で、御免なさいと直ぐに言える子だったら・・・・父に対しての不満が、実子に向かう事は、社会の本質・・・

現代は、親子も関係ない、要は繋がり等で、同じと差別しないように教えているが・・・昔は、親亀が悪なら、子亀も悪と捉えられていた。逆の場合も当然、有る・・・・結果、一族・親族から、社会に迷惑をかける人を輩出すると、全体責任と成り、親族・一族が悪と認定されていた。

現代は、平等主義と言うより、個人主義が台頭し・・・親・親族・一族等々、関係ないと言う方向に成っている。

この様な結果・・・・身を正す為の部分が無くなっている。私は、地域の為・親族・一族・家族の為・・等々が有る、その為に、恥を与えたくない・・・この思いが己を正す方向に成っている。

個人主義の台頭は、己を正すものを無くす方向に成る。結果、哲学・宗教・道徳が大事に成るが、現実には、この部分の教育等々は消滅方向に成っている。

父を看取ったが・・・父の価値観は、己為、だけの人だった。又、己の価値観が正しい、他の価値観は間違っていると人・・・要は、トラブルメーカーに成るし、喧嘩が絶えないと成る。

しかし、優しさが有った、先ずは己が潤い、余りが有れば、簡単に与える、しかし、確り覚えているし、何かの時に、それを言う、結果、また、喧嘩に成る。

微々たる、金額等々の部分も確り覚えている・・・この、記憶力には驚いている。

くれたもの、直ぐに忘れても問題ない・・投資の為に与えたなら、与える前に、確り投資と言う事を伝える事が必要と思うが・・・

私は子育ての時も、息子たちに、投資と伝え続けた。しかし、一般的には無償の愛情で親は全てを尽くすものと教わっているようで、私の言葉等々、耳に入っていない。

私は、親だが、将来は老いるし、病・大病も患うと思っていた。結果、手足に成ってくれる後継者を求めていたし、育てようと思っていた。また、赤の他人より、血が繋がっている。実子が良いと思っていた。

当然、社会の為の実施も居る、社会が有るから、生きられたと言う感謝の思いが有るから、社会に実子をくれる事は、当たり前と思っていた。結果3人以上の実子が必要と勝手に思っていたし、結果、5人の息子を育てることに成る。

子供たちに、右肩下がりの件を話すと、耳を塞ぐ・・・この様な事や・教育を受けていないようだ・・・・

お前も、何時かは死ぬと言っても、返答が無い・・・聞こえない振りをする。

確実に起きる事なのに、何故、備える為に、知恵を得たいと思わないのか????

唯物的物も、永遠性は無い・・・いつか無くなる。人間も身は唯物的物、当然、無くなる。

無に成るものを何故、どん欲に求めているのか・・・仮に己に若さが戻ると大金を使っても、老けが遅れるかもしれないが、絶対に老いる事が無いと言う事は有りえない。

大金を使って、永遠の寿命等得ることは不可能・・・しかし、大金を使って、寿命を延ばす事は出来る・・・しかし、その年数は????100年???50年・・・現実は数年と成る。

要は、決まった事、各自にに起きる事、避ける事は出来ないのになぜ、備えないのか????

人として、死に際の人に多く縁し・・体験・思い等々を聞くことが求めれている。人としてである。食柄・・・医師としての場合、見ている部分が違う・・・人として、何を言い残したいのか???・・問題点・改善点を知る。大事だ思う。

人は死ぬ・・唯物的肉体は無くなる。無くなったで終わるのか???

その人の、思い・経験を知り、己や後継者の為に残すのか???

大きな違いに成る・・・人は、肉体より、心・思いが大事だと私は考えている。この部分は、未来へ残せる・・・この部分が命・生命と捉えるなら、永遠な生命と成る・・・人を人として見ているのか???物として見ているのか???大事な部分の教育がなされていない。






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