2022年10月20日木曜日

DNAに刻まれている。

 人間も・・・家畜等と同じで・・・環境次第でタイプが変わるし、性格も変わるし、体格も変わる事になる。

世代交代で長年の環境が、人を創っているという部分も有ると言うこと・・・血の怖さになる。

血の怖さと言うと、差別と言われるが、私は自称、差別主義者と言っているので、この様に言われても仕方が無い程度で捉えている。

家畜と同じで・・・宿主側が求める方向の家畜が生き残る可能性が高い・・・要は、己の遺伝子を残すためには、宿主から気に入られる事が大事になる。

しかし、問題は、人は家畜と違うと言うこと・・・・しかし、人の家畜の様に、寄生虫的価値観を持っている場合も有る。

大陸の人間世界の環境の変化は・・・大きすぎる・・宿主が変われば、前任の宿主は悪になり・・・勝てば官軍的に、新しい宿主が正しい、全て正義と言う方向性を示す者しか生き残れないという状態に成る。

日本国は、この様な大陸の変化・動きを避難民・亡命者を受け入れ・・問題点を知っていたし、この様な亡命者は、要は力、能力かが高い人達になる。その知恵をタダで貰えることにも成る。

仮に、家畜が、宿主側の人間より、賢かったら・・家畜という立場で無いとなるし・・・目下と言うより、ライバルという感覚になる。それが進めば、ライバルが敵になり、敵は潰せ・殺せとなる。

要は、宿主側の価値観になるし、寄生側の価値観にも成る。

宿主が変わる事が有ると成れば・・・寄生虫はその時々で発言や行動を変えることが出来る人が、生き残る可能性が高い・・・

これを理解しているなら・・・当然、宿主側は、何時、寝返りをされるか怖いために・・・・寄生虫側に耳さわりの良い、事を言うことになるし・・当然、期待するが、期待通りに成らないので、不満が増すことに成る。

この不満が、宿主側に集中しないように・・・仮想敵を創ると言うことにも成る。

要は仮想敵を創ると言うことは、それだけ、宿主側にも問題が有ると言うことだし、それにしがみ付いている寄生側にも問題が有ると言うことに成る。

日本国には・・今は知らないが、昔は、「一国一城の主に成る」と言う目標が有った。小さいが宿主に成りたいと言う意味に成る。

力が無い、能力が無くても、宿主に成る・・当然、共に生きる人を求めることに成るし、その能力の高さも必要になる。

主だから、謙虚と言うこと・・・しかし、大陸的・一神教的な価値観の場合、主は、力が有り・能力が高いとい・・これが常識に成っている。

結果、能力・力が高い、宿主を求めるし、求める理由はその力の一部を得たいという、寄生虫的、価値観に成る。要は、主が神だと言う方向に向かうことに成る。

当然、一神教的・神の捉え方に成る。日本国の神の捉え方と違う事になる。神も人間と同じ、生物と同じで、失敗も間違いも起こすと言う考えと、間違いを起こさない、全て正しい言動しかしない神との捉え方の違いになる。

しかし、日本国もこの流れに向かっているように感じる。力が有り、能力が高いと言うことは、完璧だという方向に向かっている。

要は、立場が高ければ、間違い・失敗が出来ない、しかし、生物・人間、当然、起こす、これを隠す方向になるし、粉飾する方向に向かうことになる。要は、民衆の価値観、捉え方が、民衆の代表を創り出すと言うこと・・・・・

社会が宿主の集まりで・・共に生きる為には???これを模索する世界なら良いが・・・社会が、寄生虫的な民衆だけなら・・当然、己だけが良ければ、当然、良いと言う条件は周りの人と比べてに成るし、何が良いかは???・・その社会の価値観で決まる。

仮に金が全ての価値観なら、人より多くのお金を持っている事が良いと成る。その為には????・・・・宿主なら努力するが・・・寄生虫的な場合は、楽に多くの金を頂ける宿主を求めることになる。

以前、書いているが、キリスト教の布教に、日本国に来た、神父が、本国に伝えた手紙に、日本国では布教が難しい・・その理由は、幸福になる、幸せになる、過去の罪が救われると言っても、興味を示さない・・・理由は、私が幸せになっても意味が無い・・・自分の死んだ父母や先祖は???・・当然、今の話が真実なら、地獄世界に居ると思う。私はその子孫になる、当然、地獄に行く事を望むと言うことを、農民が言った事に、大きな意味が有る。

己だけで無い・・・生きると言うことは、その他大勢の命と共に生きると言うこと・・・当然、己の祖先・先人達の為には生き抜くことになる。

楽では無いし、キツいことだが、これが生きるという意味と捉えていたと言う事・・・要は、己の宿命を使命へと変えれる価値観を持っていたことになる。宿命を変えることが出来る事になる。

しかし、現代は、宿命は嫌なこと、逃げたいこと、避けたいことと言う捉え方になっている。勿論、世界の常識だが、日本国にはこの感覚が過去には無かった。

理由は、己は主という価値観が有るからと思う・・・しかし、時代と共に、己は寄生虫側、この立場なら、楽して、上手に宿主に気に入られ、旨い水を腹一杯の飲みたいという方向になっている。

この価値観が、戦後も残っていたために、敗戦国と言えない、復興がされたと私は思っている。

私は、家長・小さいが主という立場で有る。しかし、人間、失敗も間違いも起こす。力も無い、能力も無い・・・又、右肩上がりが普通という現代、衰え出す年齢を過ぎ、今は難病の闘病中で有る。現代の価値観なら主として失格、有りえないと成るが・・・代わりが居ないし、それを自覚しているので、育成にも頑張ってきたが・・・育っていない。

要は主に成りたくないと言う、価値観が根に有るのかもしれない。

この価値観なら・・地獄しか生まないし、その方向に進むことに成る。

楽して、旨い水を飲みたい・・・これが正しいという価値観で多くの人が成ったら・・・不味い水さえ飲めない人が多く必要となる。当然、飲み干すことが出来ないので、利を感じる人より、苦を感じる人を多く排出することになる。

その人達が、利を感じる人と同じ価値観なら・・・苦を恨む、感謝等には成らない・・恨み、妬み・・最終的には殺せとなる。

歴史の大事さ・・・他国を観れば解る・・・180度価値観が変わっても準じる人が多い国・・・当然、主側も、完璧・民衆に耳さわりの良い、言動が求められる・・・身内には良い顔だが、外部には???・・・当然、外に敵を多く作ることになる。

結果、滅ばされる可能性が高まる。これを民衆も解っているので、主が変われば180度の態度の変化も可能にならなければ、生き残ることが出来ないとなる。

何度も書くが、損得勘定の、損と得の捉え方、価値観に成る。

我が国、日本国も、怖い方向に進んでいると私は危惧している。

世界標準が正しい、目指す方向という流れに加速している。本当に正しいのか????・・・各自も違うように、各国も歴史文化も違う・・一極に向かう方向より、多様性を認めた上での共存を考えた方が良いと思うが・・・・何故か、日本国も、一極方向の、一神教的、価値観染まりすぎていると思う。

リーダーは、下僕で有ると思うが・・現代は、リーダーは能力が有り、力が有るとなっている・・・何故、能力・力を求めているのか???当然、能力・力も、その人が思っている価値観で利につながる部分になる。

要は、寄生虫的な感覚で、リーダーを求めている、要は宿主を求めている事になる。己の能力は、駄々をこね、貪る命が強い方が、良い思いが出来るという流れになる。

主から何を奪えるか???これを競っていることになる。哀れだ・・主に何を与えることが出来るか???この思いが有るから、主は下僕とも言えることになる。

要は、主も寄生側も同類だと言うこと・・・

私は、衰えてきたが、主で有る・・・責任と義務は確りと感じている。しかし、能力が衰え、出来なくなってきたし、当然、不満も多々、家族は持っていると思う・・・しかし、大事な部分は、その振舞・行動より、思い・命だと私は考えている。

人は、何時か死ぬ・・死ねば何も出来ない・・・それに比べれば、今でも少しは動ける・・義務と世金も微少だが出来るこの部分に感謝できる、人になりたいと思う。

「生老病死」は必然・当然のこと・・・今は、病の時・・・人間として生まれ、人としての証明を生きる姿で見せていることになる。

全てが感謝と思えるように、最後は迎えたい・・当然、右肩下がりの状態でと思う。これも価値観、生きた証、経験・学びからになる。何を教わってきたが大事になる、年代と言うことにも成る。

汚い、ボロ雑巾状態の私を、抱きかかえてくれる後継者の育成が出来ていたかが、今後問われ出す・・・

現代の価値観なら、全て、苦と負と損に成るが、背負える価値観を得ているか???問われる。

我が身は落としても共に生きるという思い・・大事だと私は思うが・・・






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