2022年2月28日月曜日

サポーター・・・・

 リハビリで・・・・腕が酷使されていると言う事で、補助の為のサポーターを薦められた。

肘も悪くなっているので、先ずは、肘のサポーター・・・腕を上げる動作に重さ・痛みを感じ難く成った・・・肩のサポーターも試したが・・・同じ感覚に成る。

しかし、手持ちのお金が・・・・肘のサポーターだけ購入し、装着状態で、帰路に付いたが、ハンドルに無意識に右手を添えている・・・今まで、それも苦痛に感じていた。ハンドルも苦痛を感じなく回す事が出来る。

この変化に驚いている。

痛め、普通で無い状態・・・色んな意味でサポートの大事さを感じた。

今回は物理的に直接的なサポーターの装着に成るが・・・感謝と言うより、有り難いと言う気持ちが強い・・・・

私は三流だし、劣っている人間・・・その為に、多くの支えが有って、今まで生きて来られたし、感謝している・・・感謝しているので、支える側に成りたいと言う願いも有るし、私で良ければ、力は無いが支えようとする。

勿論、足手まとい、邪魔と思われると思うが・・・感謝の思いが有るから、何故かしてしまうと言う事に成る。

父に対しての恩を強く感じているので、当然、感謝が有るし、有るから、葬儀も母と同じ程度と行ったが・・・・結果は、コロナ鍋の中、弔問客は1/5だった。

恩の返し方、色々有ると思うし・・・色々あるなら、私は欲が深いので、全てで返したいと考えている。

色んな出来事が有ったが、その瞬間は、負に感じた事も多々ある。しかし、それを利に返る事が出来たら、強い感謝の思いに成る。

一度ブログに書いているが、父と刺し違えても、父を先に彼の世に送る、之が私の使命と思っていた。それだけ、守が大変な人だったが・・それが結果として、手の掛かる大変な人も父に比べると、軽いと言う捉え方に成っている。

要は、己が今、生きて居ると言う事は、父のお陰だし、恩だと私は考えている。

苦労したと思うが、私が出来る範囲での贅沢は多々させたと私は思っている。

子として当然の振舞いだし、絵に描いたような父親なら、尚更、多々の恩を返す必要が有ると私は考えているが・・・逆に有りえないと思える父だったから、今程度のお返しで済んだ・・・之も、父の私の分を考えての、配慮とも思える。

後は、49日の法要を済ませ、納骨の儀式と・・・香典返しの為のお金を、工面することに成る。

勿論、私も己の欲、我欲も多々行って来た・・・勿論、背負っているものとの兼ね合いで変わるが、十分楽しめたと考えている。

この歳に成ると、父の件もそうだが・・後始末が大事に成る。

鳥でさえ、発つ鳥跡を濁さずと有る・・・・人間なら、当然、己の分に応じた後始末が有ると思う。

勿論、私は三流の分でと言う事に成る。

力が無い、弱いから、サポーターの大事さ、意味が解る・・・・之が大きな力と成る、可能性が有るし、当然、恩を感じさせる事にも繋がる。


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