危惧していた事が始まった。
今世紀初めから、危惧居ていた部分・・・・
始まったら、何時かは終わる・・・終われば、当然、後始末が必要に成る。
この部分は、事の内容で変わるし、大きさで変わるが、厳然と有る事は変わりは無い・・・
遠い、国での事柄だが・・・瞬間的に影響を齎すのが、現代の世界に成っている。
要は、事は起きたが、拡大するのか????が今後の後始末にも大きく影響することに成る。
不当投棄と同じ、問題・・・奇麗な場所には中々、不当投棄が出来ない・・・見え難い関心が薄い場所に、不当投棄が最初有ったら、その後は直ぐに不当投棄が続く・・・この状態に成らない事を願うだけに成る。
勿論、国のトップ・・・終わった後の後始末も覚悟の上だと思うが・・・覚悟が有れば、中々出来ない事。
それを行うと言う事は、それ以上の利が有ると感じたからに成る。利も各々の価値観で変わるが・・・人の為が私は利だと考えているが・・・
何も解らずに、この世を去ると言う人が居たなら、私は可哀そうだと思うし、利とは到底思えない。
大きな利の為に、失うものが、命、それも非戦闘員なら、悲惨と言うしかない。
勿論、大きな利と思っていても、他から見れば、利とは思えない場合が多い・・・
何故、一流で優秀で、力が有る人は、己の価値観が正しく、それを追求する方向に成るのか???多くの価値観を容認できないのか????・・・
優秀と言う事や一流と言う事は、己の価値観に固視すると言う事なら、間違っていると私は考えている。聖徳太子は、同時に7人の話を聞けたと言われている。
他の価値観を容認できる器が有ると言う事だと私は捉えている。
世の中、共産主義・社会主義でも、その中で生きる、住民は当然、色んな価値観が有ると思う。しかし、それを容認できない・・・結果、己の思いを殺して生きている事にもなるしその様な人も居ると思う。
勿論、共産的・社会主義的、価値観の人も居るし、この世界が良い、天国とまで思っている人が居ても良いし、不思議でない。
之と同じで、民主主義の場合、色んな価値観を容認している。
結果として、共産的・夜会主義的な価値観を持っている人も、人権が確り保障されている。
民主主義のこの自由の保障が、結果的良いのか悪いのか????・・・・今回の問題の国、若し共産主義だったら、他の価値観は、抑え込んでいたと思う。
この部分が、亀裂に成り、すけいるスキを与えた事にもなる。
この事は、何度も、過去のブログに書いている。
民主主義の弱さと言う事にも成るし、基本の民衆の価値観、寄生虫か宿主を目指すかの違いから来る部分に成る。
何度も書いている、負他主義・利己主義・・・之では、如何しても寄生虫的価値観に向かう・・・負己主義・利他主義・・・・・この考えが基本に有る、民衆でなければ、本当の民主主義は進まないし、本当の自由も無いと言う事に成る。
要は、動物の社会で無い・・・・人間の社会と言う強い思い・・・・先ずは、仏法的には三悪道のレベルから、脱しなければ、民主主義党も絵に描いた餅に成ると言う事・・・・
変わらなければ、当然、地獄の社会を目指していることに成る。
民主主義は、甘ちょろいと捉えているこの様な人も当然、居るし、その様な人が、争いを起こしている事にもなる。
何故、人は、何度も同じ、過ちを繰り返すのか????動物と言うレベルから脱する事が出来ないのか????出来なければ・・当然、家畜として生き、寄生虫根性が強い家畜が、良いポジションを得ることに成る。共産主義・社会主義なら仕方がないが、何故か、民主主義国家の、民衆にもこの様な人が多い、
人間の限界なのか?????・・・・滅びるしかない、生物なのかもしれない。
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