2021年10月31日日曜日

忙しい・・・・

 村祭り・・・国政選挙・・・それと義父の葬儀等と忙しい・・・

特に葬儀と成ると、親族の場合・・・家と言う括りを問われる場に成る。今、この様な事を言うと古いと言われるが・・・私は古い考えも大事だと考えていし、現代の様に、否定したり拒否したりは、先人の知恵をバカにしている私は考えている。

私の、○○家・・・その家長は私に成る・・・本来なら、私の父が家長として、座る場所に私が座ることに成る・・・之も考え様では家の恥と私は考えている。理由は、父は健在で有る・・しかし、今は妹が看ている・・・その為に、妹に連絡することに成るが、妹は現代の価値観に強く染まっているので、何故、父が参列するかの意味が解らない・・・又、私の考えは古いと、否定するので・・・言っても意味が無い・・・

母が逝った後は、母方の兄妹等々とは、縁が無い・・・法律でもその様に成っていると言う・・・・要は、死んだら縁が切れると言う考えに成る。

その為に、妹の夫が行った後は、夫方の兄妹、親戚も縁が切れたと考えているので、夫の里からもその様な、扱いを受けているが・・・私の思いを尊重して頂く、良い夫の里と思い込んでいるが・・・私は嫁の分が無い、悪い嫁と言う評価をされていると考えているし、妻と嫁との違いが判らない、妹の特徴にも成る。

この様なタイプなので、息子嫁の父の死・・・私の父親と何の関係が有るのか???と考える妹と言う事・・・・

結果、私が家長として座ることに成るし、それに本来は高齢の為に、家長の父と言う立場に座る人が、私の場合、来ないと言う事に成る。

この部分は、嫁の親族もよく理解しているので、少しは気が休まるが、それでも家の恥の部分は同じに成る。

私の後ろに控える・・・当然、息子達とその嫁・・・子と・・言う形に成る。

この部分も現代子なので・・・中かな、家と言う考えが解らないでいる。

父親として、色々教えて居たつもりだが・・・・葬儀屋さんが・・・何故と言う考えが有る。

本来なら、個人と縁が有る人達が、葬儀を行っていた。当然、全てになる。

勿論、大変な部分も有るので、現代はその部分を討議やと言う商売人にお願いしていると言う事に成る。本来は、身内が行う事・・・代理が葬儀屋と言う事に成る。

之を理解していない為に・・・面倒と思う部分は、全て葬儀屋と思い込んでいる。

本来の葬儀は????、私の考えでは、故人に対してのお礼の「感謝の思いを伝える場」と私は考えている。

感謝が有れば、当然、恩を感じている、その恩に答えた、行動が葬儀と言う事にも成る。

要は、己の心の動きを、素直に行動にしているだけと私は思うし、だから、どんなにキツクとも体が動くとも思っている。

今日は、通夜までの時間・・・私の後ろに控えるであろう、息子達の様相を整える為に、奔走することに成る。

それ位、無知・世間知らずと言う事に成るが・・・・当然、現代なら私が言う世間は古いと言われ、否定されると思うが・・・大事と思うから、声を上げて、動くことに成る。




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