今日はお盆と終戦記念日に成る・・・・先祖の墓参りが有るが、嫁は職場に送った・・・・
昨日まで、豪雨が叩き付ける状態だったので、墓参りは出来なかった・・・今日、私だけでも行いたいと考えている。
今日の朝・・・目覚めた私は、大事な体の一部が無い事に気付いた。
嫁に尋ねると、知らないと言う・・・何を????・・・今は体の一部の歯・・入れ歯に成る。
家族から汚いと言われるので、ティッシュに包んで、テーブルの上に置き、就寝したが、そのティッシュの塊が無い・・・嫁に再度、尋ねると、昨晩、テーブルの上を片付けた際に、捨てた可能性が有ると・・・・生ごみの市の指定袋の中から、探し出してくれた。
感謝に成る・・・無くなると、私は非常に困る。
私も今後は、同じ扱いを、家族から受ける可能性が有ると言う、認識も出来たことに成る。
人として扱って貰えているだけでも、感謝と言う事に成る。
何時も思うの事がこの部分、人として扱って貰える、之を当然と思っている人が多い、結果として、感謝しないし、逆に不満を持つ人が多い・・・
人は各々違う・・・口では奇麗で耳障りの良い事は簡単に言える・・・しかし、汚く・見難い人も現実には居る、中には、ドブの中でもがいている人も居る。誰が、その場に行き、背を貸せるのか????・・・当然、奇麗ごとを言っている人は出来る筈である。
しかし、現実は、見て見ぬ振りをするし、他への責任転換を行っている。その矛先が行政等に成る。
負を背負う気が無いなら、好き勝手な奇麗ごとも簡単に言える・・・・
私も汚い事は見たくないし、関係を断ちたいと思う・・・しかし、厳然と汚い部分も有る。それを誰が処理するのか???と考える。
世の中には、身心地が良い・聴き心地が良い、之だけの世界で無い・・・勿論、現代は、強く意識しないと、その逆の部分は見る事も、聞く事も出来ない。
何故か、世の中に出さない、隠す方向に成っている。
私が面倒を看ていた、近所の困ったチャンも、昔なら、商売人の下働き、要は草取り・掃除等々の仕事が有った・・・しかし、現代は、この様な仕事が無いし、又、雇用側も知恵遅れが有り、世間に揉まれ、嘘を簡単に言う、人と、必要と思っていない。
何故、嘘を言うのか、世間が求めている、レベルに無い為に、無意識に嘘を言っている、社会に溶け込もうとする本能だと私は考えている。
要は、知恵遅れと言う障害が、社会では通用しない、通用しないから、嘘を言って、レベルを社会が求める状態にする。仕方が無いと思う。
昔なら、お前はバカだから、この程度の仕事で、頑張れと成るし、それで対価を頂いてい居るなら、それで問題は無かった。
勿論、家庭を持つ、子を儲けると言う事に対して、社会は反対していた。
しかし、今の人権とは、この様な流れで無い。
義務を遂行するから、権利が与えられると私は考えている。
義務も多々ある・・・レベル的に、人の個性や能力でも変わると私は考えている。
当然、権利の主張も変わるべきと私は考えている。
近所の困ったチャン、与えた仕事、すべて失敗するタイプに成る・・・この様な人を誰が雇用するのか???・・・当然、個性に合わせた、仕事・能力に合わせた仕事を提供できる企業しか、雇用できない・・・・
仕事を選ぶ、自由が有るか???・・・現実は、無いと思うし、己は普通と思っている人でも、不得意な仕事、得意な仕事等、有ると思うし、それを基準に仕事を選んでいると思う。
要は、自由とは、何でも出来ると言う意味も有るが・・・己が求める事が有るか、無いかも自由に成ると思う。
近所の困ったチャンは、彼の能力に合う、仕事が無い・・要は、選べる自由が無かったと言う事、結果、嘘を言って、己のレベルを良く見せようとする方向に成るし、失敗を隠す為の嘘も多く言う様になる。
本来、私は、人は、嘘を言わないと思っている、何故、嘘を言うのか、社会がそれを求めているからだと考えているし、嘘を言わなければ、社会に溶け込めないと言う危機感からだと考えている。
嫁を職場に送り届けてから、長男の家に向かった・・・長男家族は、若嫁の実家に避難していたとの事、今朝、来た長男が、話していたし、結果的に、我家には寄っていないと言っていたので、確認の為に、立ち寄った・・・・目視では駐車場まで、浸水した様だ・・・家の建っている、土地は、浸水していない様だ・・・・
しかし、雑草が又、育ち目立つように成っている。次回は、除草剤を持参で、伺いたいと考えている。勿論、家の中には入れないが・・・・
現代、家は、嫁のテリトリー・・・私は、若嫁から見れば、他人・・・当然、己のテリトリーに入れたくないと言う、思いが有ると思うし、それを正直に、表せる人が、若くなるに従い、増えている。
四男の十代の若嫁は、孫を抱かせてくれない・・理由は、臭い・汚い・他人に何故と、当然の様に、口から吐く・・・
正直な振舞と思うし、嘘ではない・・・しかし、と私は考えている。
要は、必要悪・必要嘘も、現実には必要と言う事・・・
己の心に正直に生きる・・否定できない、しかし、心とは????・・・社会が作り上げている・・・明治時代の若者が、ユーチュバーに成りたいとは夢にも思わないと同じ・・・
人は社会が育てるし、当然、心の育成も行っている。
人に対しての関りが、人を育てると言う事に成る。
当然、誰と関わったか、誰を求めたかも、大事に成る。
私は、先人が口酸っぱく言っていた事、耳障りの悪い事に耳を傾ける、見触りの悪いことに目を向ける・・この事が大事だと、現代でも思っている。
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