2020年6月27日土曜日

容姿・風貌・・振舞いが・・・・

私は、何故か、あしらわれ方が・・・良いと思えない事が多々ある。

勿論、三流の立場・容姿もそれなりに姿だし、風貌は、基本、分以下を求めているし、
振舞いも、田舎者のオッちゃんと言う、分相応の振舞いをしている。

昨日、携帯ショップで、相手をして貰えず・・・・・バイク屋のに行き、オヤジと色々話していたが・・・・私は、損するタイプらしい・・・・

勿論、三流だから、三流として扱って貰えば良いが、無視される事は、人として非常識だと私は考える。

昨日も、スリッパに薄手の半ズボン・・ステテコに色が付いている感じ・・・上着は、Tシャツ・・・・乗っていた車は、モンキーの原付バイク・・・・人だから、お店に伺ったと思うが・・・・人として扱われたとは私は思わなかった。

私は、人目は余り、気に成らない・・・その為に、己の分相応が出来るし、又、それ以下の振舞いをしていれば、私は楽だと考えている。

世間は、肩書等の、看板がモノを言うと思うが・・・私はそれを求めていない。

夜の街、飲み屋街等々に、三流の為に縁は無いが・・・仕事の関係や団体の関係で、その様な場に行く事が有るが・・・・主催者が大メーカーの部長と言うだけで、対応が変わるし、私自身に名刺等を求められた場合、個人情報が少ない、団体の名刺を出すと、その団体が、大きい為に、又、あしらい方が変わる等々、色々経験したが・・・何故と何時も思っていた。

要は、田舎者のオッちゃんの振舞いを、しても、肩書で対応が解ると言う事・・・
羽目を外しても、問題に成らないし、逆に三流の立場の肩書だと、直ぐに問題に成る。

営業を習った、恩有る社長は・・・私に、営業の成果・・・・如何して販売したかを言われていた。売るだけなら、誰でも簡単・・・・何故か、看板が有るから、その看板を使ったら、成果は看板に属する・・・
この様に言われていたので、名刺もカタログも、己の身分も明かさず、売って初めて、己の成果だと習ってきた。

今は、自営業で、己の力で飯を食っている。
しかし、教わったスタイルを今と通している・・・その為に、名刺も殆ど使わない、相手が求めれば当然、渡すが・・・・カタログも同じになる。

勿論、この様な方法で、大きく飛躍するとは思っていない・・・・しかし、己の分を超える方法を用いたくないし、要は見栄の為だと私は思うので・・・ケツに火が付かない限り、この様な無理はしたく無いと考えている。

今回、携帯の件は・・・JCで知り合った・・衆議委員の秘書を行っていた後輩・・今は、携帯電話の親会社に居るし・・・今まで、色々、頼まれた事を、後輩の願いと黙って、処理してきたために・・・形態等で問題が起きた場合、彼に頼むと、少々の無理なら対応してくれる。

勿論、区別や優先順位等の部分に成るし、差別と言われると思うが、何度も書く様に、私は差別主義者・・・多々の願いを叶えて来たなら、その恩に答えてくれる人も少ないが居ると思っている。この感覚が差別主義者だと言われたりするが・・・この様な事を差別と言うなら、人様に恩を有たてても意味が無いと言う事に成る。

若し、この流れに進めば、誰が人様を背負うか????・・・当然居ない事に成る。
要は、生きて行ける人と、生きれない人と、大きく二分され・・・・生きて行けない人は、国の管理に任せて、知らない振りが出来ると成る。

悪い意味での独裁国家と同じと言う事にも成る。

独裁とは一人が主とは限らない・・・選ばれた一部の人間が・・・之も独裁と成る。
要は、人として認めない、無視される立場を作り出す事が、私は独裁と考えている。
若し、独裁している立場の思う通りに成る世界が、良い世界と成れば、独裁者がその人間は不必要と思ったら、当然、社会から消える事に成る。

この選ばれし人間の価値観にも成るし、その立場を手に入れる為にはどう振舞って来たか・・・この延長線上に成ると私は考えている。

若し、勝者がこの立場とすれば・・・多くの敗者を創って来たと言う意味にも成る。
当然、敗者に対してどの様に考えているか???この部分が問われるが、全く意識にも無いと成ると、怖いと私は考えている。

要は、神に近付きたいと、努力した結果、多くの敗者を創り、路頭に迷わせる人を輩出し続けたら、本当に神に近付いたと言えるのか????・・・私は疑問が有る。

私は、三流だから、その様な大それた考えは無い・・・与えられた場を死守するだけと私は思っている。

私の価値観は、各々与えられた場が有る、その場を死守すれば、世の中は良い方向に向かうと考えている。

又、自己完結を徹底し、己だけの力がと若し思っているなら、誰も居ない場所で、生き抜けば良いと私は考えている。誰にも迷惑を掛けたり、与えたりしない・・・

私は劣っているので・・・当然、人様からの施し等が必要に成る立場と考えているので、社会と言う、人間の集合体の中で生きる事に成る。

人様が居るから、生かされているし、その恩に報いる行動も必要だと考えている。
之が、人として当然の部分だと考えている。

逝った母が言っていた、子守・家族守・親守・親族守・地域の守・等々の最後に墓守を行って、人として一人前・・・このレベルに成って、現状に何を加えて行くか????この部分が、ご自由と言う事と言っていた。
自由の意味を履き違えると、先に書いた、独裁者・・・特に残虐な人に向かうと言う事、勿論、之も自由意志と言えば、その通りに成る。

誰しも分が有る。その分に応じた、重さの背負うべきものが有ると言う事・・・当然、人様と比べる部分でも無い・・・

己の分・・・視野を広げても、現実に見える範囲しかない・・・私の分だと、向こう三軒両隣位の、広さに成る。

この部分は、私の分として、死守の使命が有ると思っている為に、それ以上広い部分は、その分が有る人たちが行っていると信じている。

この様な社会が、私は理想だと考えている。

私の分で、市の大きさ等・・・鼻で笑われると思う・・・・



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