2020年3月12日木曜日

経験・免疫・・・・

「苦労は買ってでもせろ」「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」等々・・私が幼い頃はよく耳にしていた言葉に成る。
又、漫画も、「巨人の星」「アタックNO1」「明日のジョウ」等々がヒットしていたし・・・それを、親も含めて観ていた。

現代に、この様な漫画、非人道的等々で・・・子供等には見せない方向人ると思う。

現代は、負や不の部分を見せない・・・近づかせない・・・避ける・・・この様な方向に成っている。

結果、本来、幼い頃から経験として、身に付けていた部分さえ、持っていない人達が増えている。
又、苦労と言う方向も、避ける・・・又は無い方向・・苦労と言う単語を使わないで済む世界が、良い世界だと教えている。

結果、小さい価値観しか持っていない、人達が据え続けている・・・幅の狭い価値観と言う事に成るし、その範囲しか、無いと思っているし、それ以外を、非常識だと思っている事に成る。

之が、今回の感染症の問題で一気に表面化して居る。

要は、経験も、良い方向は、伸ばし続ける・・・しかし、逆に負や不と思える、経験はさせない・・・為に、現状が行き過ぎた、レベルに成っているとは気付かないで、それが普通と成っている事に成る。

色んな施設が、行事が縮小・取り止めに成っている。
それに対して、色んな思いと言っても、負を感じている人の意見を多く発信し続けている

私の嫁と話すが・・・・その様な施設や行事に、今まで参加したことも無いし、利用したことも無い・・・田舎に住み、日頃の生活が手一杯で生きている立場は、雲の上の話として聞こえている。

変化が有ったか????当然、常時、波乱万丈的、生き方をしている立場では変化さえ気付き難い・・・落ち着いて周りを見れが、人の動きが変ったとは解るが、現実の私の生活に変化は、気付かない微細な変化としか感じない・・・・

日頃、孫守等々、行っている・・・単純に理由が変ったと言う事で、行動自体は同じ事に成る。

増えるか減るかは、当然、日々で変わるが、この変わる事が当然の我家の場合、許容範囲内に有ると言う事に成る。

子供や孫が何時、問題を起こす等々、予想も出来ないし、計画も立てる事も出来ない・・・今回の件で、予想が大きく変わる等々ない・・・・

現代は、生き残る確率が昔より増えている・・・強く書けば、昔なら死んでいて当然の人間も、側で生きている事に成る・・・この事は、人の個性が広がっている事に成る。
色んな個性が増え続ける世界で・・・負や不を見せない、教育が本当に正しいのか???私は、疑問も有る。

私の同窓には、刑務所暮らしが長い、学友も居る・・・反社会的集団に属している、学友も数人、居る・・・学友を友と考えれば、友達に属する部分に、負や不が存在しているし、それを私は恥とは思わないし、逆に誉とも思っていない・・・当然と思っている。
この部分が、若し、駄目というなら・・・縁する前に、調べる為の、人を周りに配置して生き続ける事が可能な人と言う事に成る。

三流で、貧乏だから、出来ないと成れば・・・三流も貧乏も、世の中から排除する方向に成る。

何度も書いているが、我が地域では大社長と言われる人から、子供の頃・・・屏風は広げ過ぎると倒れる・・・閉じても倒れる・・・・程々に広げる、之が人間の知恵・経験と教わった。

屏風とは、描かれている絵を見せる、見栄の部分も有る・・・本来は、目隠しの為のつい立・・・・本来の目的と、見栄の部分を、合わせた、品物に成る。

その為に、裏と表も有る・・・見せる絵を、大きく見せたいと成れば、当然、屏風を広げる、大きく広げる方向に成るが・・・当然、自立が出来難くなる。
又、外的要因で風等々の倒す働きも有るので、その場の環境等でも、広げる幅が決まる。

又、屏風を人と例えている・・・屏風は物なので、永遠性が有るが・・人は、変化が有るし、最終的に死が有る。

要は、屏風を閉じる時が有ると言う事・・・放置すれば、後継者しだいでは大変な事に成る。

当然、環境の変化、本人の変化で、屏風の広げ方も変わると言う事・・・・

この屏風の蝶番が、固着している、之が、現代に成る。
色んな、経験をしていると、免疫が有るし・・動かし続ける蝶番と言う事に成る。
又、この様な経験が疑問を産み、考える、この行為が、蝶番に注油を続けている事に成る。

夢も希望も無いと言われるが・・・生きると言う事は、死に向かっていると言う事・・・之が解るから、未来・後継者等に、夢や希望を託す、之が、夢・希望と私は考えてる。

己が、それを成就できる等々、夢にも思っていない・・・だから、後継者を創り、育てたいと、行動し続ける事に成る。

要は、免疫も、私から後継者へと思っているし、当然、自己自身で得る之も求められる・・・又、DNAと言う形で、残す事も出来るが・・・この部分は己の意思ではどうにもならない部分・・・・・
出来る処・・・伝える事しかないと私は考えているから、負・不の部分も言い続けている。

怖い、書く事さえ怖い・・・この様な思うのも差別心と私は思っている。
三男が生まれ、初の面会の時に・・・多々の赤ちゃんが、色んな器具に繋がれ、保育器の中に、居る姿を見ながら、我子と対面した・・・その間に見た、赤ちゃんの姿、書く事さえ怖い・・・昔だと、産婆さんの配慮で、死産と成っていたと思うが・・・医学の発展で、現代は生きれる・・・生きれると言う事は、書く事さえ怖い、人が居ると言う事・・・・しかし、その様な部分を、教えないし・・・見せない・・・結果、イメージすら無い、この世に居ないと言う捉え方・・・・この方向が私は、差別だと考えている。

今後医療が発達すれば、脳だけで生きている、人だと言われる時代が来る可能性も有る。
それを、受け入れられる、許容力を人間が持っているのか????私は疑問が有る。

同じ姿、同じ言葉を話し、同じ地域、集団に属して居て、少し違う、之だけで、排除する方向性が、今回の感染症で、実証されたと私は考えている。
何を証明したか、教育だと思う、教育の方向性が、人を創っている。

勿論、教育機関だけの問題でない・・・社会全体の問題だと考えている。

要は、何時も書くが、本当に正しく、間違っていないのか、又、見栄で言うなら、奇麗なのか????・・・・私は、人間だから、失敗も間違いも起こす・・・己を正しいとは思えない・・・・当然、奇麗とも思わない・・・

今日は、長男が休みなので、又、蘊蓄を言っていたら、一言、死ねと言われた。
この言葉で動揺し、私が、縁側から飛び降りる・・・等々、当然、誰しも思うと思うが、しないし、フ~~~ンと聞き流している。
勿論、縁側から飛び降りても、死ぬ可能性は無いが・・・・もし、高い場所から飛び降りたら、同じ行動でも自殺と成る・・・当然、原因は、現代なら、長男や家族が言っている、死ぬならと言う、言葉、之を苛めと認定すると思うが・・・・
私は、その様に捉える価値観を植え付けた。教育が悪いと考えている。

事から逃げる、方向が死と言う事も有る。
要は、事をどう捉えているかが問題だし、事に対して、人様がどう振舞うかが問題と私は考えている。

若し、現状の流れが続けば、頑張れと言う言葉が苦痛に成り、ビルから飛び降りた・・・あり得る話に成る。

言葉を持つ、意思疎通が出来る人間の、特徴が、怖く成る事に成る。

家族、息子・孫から死ねと言われる経験が、結果的に、他人から言われる同じ言葉に対しての、免疫を作ってくれている。
この様に考えれば、家族に感謝に成る。

何度も書く、感謝とは捉え方に成る・・・如何すれば感謝の念が出るかは、本人次第に成る。
その人が、己で作り上げる部分に成る。




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