2020年3月14日土曜日

嫁の顔が怖い・・・

今の若嫁はと嫁が、話しかけて来た。

内容は、長男が昨晩、帰ったが、カギを無くしいるので・・・当然、ベルを鳴らして、中から開けてもらう必要が有るが・・・何度がしたが・・・返答が無かった為に・・・
昨晩も我家に泊ったとの事・・・・

今朝、若嫁から、御免なさいと言う連絡が有った事を・・・・今の若嫁は・・・と・・当然、成ってない・・・ふざけて居る・・・長男を何と思っているのか等々、私に同調を求めて来た・・・・

私に対する、日頃の嫁の対応に比べれば、凄く常識的な対応を、若嫁は行っていると思う・・・・たまたまと言う状態・・・・

嫁は、略、毎日・・・それを指摘すると、大笑いで、忘れていた等々に成る・・・それに対して少し付くと・・・次は色々な対外的問題が出たと言い出す。
再有的には、顔が怖く成るので・・・・私が謝って、事を大袈裟にしない方向にしている。

夫と言っても、所詮、他人と、何時も言う嫁が、長男の若嫁には、その範疇で考えてない事に成る。

この部分も不思議と思う・・・・
疑問点が有るので、質問する・・・しかし、この行為を指摘と受け止めている。当然、答えを求めての行動だが、その答えが出なければ、謝って、話を切った方が、事を荒げない策だと私は考えている。

要は、誰が我慢するか????・・・・我慢したくない人が居るなら、当然、我慢する人も必要に成る。
このバランスが取れている間が、良い時と成る・・・・・

私は変り者なので・・・・我慢する側が居る世界、又その対応力・許容力が大きい、世界が、逆に我慢したくない人達が住める世界だと考えている。
我儘・・・分を超える、欲を持てる世界とは、当然、我慢できる人が多い世界と言う事にも成る。

欲、一極への価値観の方向が、人が住む世界は纏まると思われている。
それが証拠に、離婚理由に一番多いのが、奇麗ごとだが、価値観の違いと成るし、違いが離婚・集団の維持が不可能と思っている人が多い事を意味している。

私は、違いが有るから、集団の維持が出来ていると考えている。
食う側が居れば、それを作る側が必要に成る。
全て対比の人の存在が有るから、その立場が有る。

仮に、有りえないが・・・全て同じ、当然、世界一と言われる能力がある人を、大勢集めたら、凄い集団に成るが・・・どの様な結果を産むか????

超一流の会社の社長を、10人集めて・・・事を成す事が出来るか????
当然、下働きもその中から選ぶ・・・トイレ掃除・ゴミ拾いもその中から選ぶ・・・超一流だから、言われなくても率先して行う事が出来るか???
私は思わない・・・・纏まりも無く、揉めると思う。

適材適所・・・この感覚は、日本人には解ると思う・・・全ての者に、神を信じている。
仮にトイレの神様も居る・・・・同じ神だが、適材適所と言う事・・・

若し、トイレの神様が、五人、居て・・・一つのトイレに押し込めると、何が起きるか、神同士の喧嘩が起きると私は思う。

神でも、機嫌を害する・・・等々、日本の場合、当然の事と成っている。
それなら人間は、それ以上に感情が害したりすると言う事にも成る。

今回、嫁が、行った事も、人間らしいと私は考えている。
間違いも起こす、失敗もするから人間である。
だから、他人と言う、己以外の人が必要に成る。

当然、どの様な人が必要かも、人で変わる・・・要は、色んな価値観を持ち、解る人が必要と言う事にも成る。

しかし、現代は、価値観の多様化と言うより、食う人を多く輩出している。
結果、食事を作る人が減り続けている。

之が意味する事は、今後は、食事を作る、下働きの価値観を持った人が重宝される時代に成ると言う事に成る。

少なく成れば成程、貴重度が増す事にも成るし・・・多い側は、一人減っても何も感じない立場と言う事にも成る。要は存在感が無いと言う立場と言う事にも成る。






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