何度も書いているが、自由・権利を深く考える時期が来ていると思う。
己の自由を求める余り・・・他人の自由を束縛する可能性が有る。
同じ様に、己の権利を求める余り・・・他人の権利を束縛する可能性が有る。
今回、我家では四男の嫁の、入院で、色々な処理をする事に向かっている。
当然、お金の部分に成れば、最終的に私が背負う事に成る。
若嫁には、己の為、お腹に居る赤ちゃんの為に・・・少しは動け・・・昔なら、安定期に成れば、日頃より負後家と言われていたし、それを怠れば、当然、母子共い大変な事に成ると言う事を、先輩方から、口酸っぱく教わっていたし、それをしなければ、当然、それなりの処置を受けていた。
しかし、砂金は、個人の自由意志を尊重する、この部分に重きが置かれる為に、結果的に、他からの働きかけでは、本人が動かなければ、その事、対応は不可能と成ってきている。
要は、若嫁も含め、夫と成る四男の、先輩方の助言に対しての捉え方が・・・煩いと言う、思いで受けている事に成る。
又、世間では、感染症の拡大の懸念が、言われている。
各々の権利の衝突がはじまると私は考えている。
要は、自由と権利の捉え方の、価値観を広げる、之が求めれれていると言う事にも成る。
要は、損をする、自由も有ると言う事・・・・・負を背負う自由も有ると言う事・・又、それを選ぶ権利が有ると言う事に成る。
私は、病院嫌いである。個人の趣向に成る・・・・・今は、闘病病棟の持病で、好きで無いが通院を続けている。
当然、熱が有っても、席をしていても、基本病院には行かない・・・・気合で病気を治す、この発想が強いタイプに成る。
又、お金の問題お有る・・・・総合して考えれば、家合に対して、お金等の私が直ぐに感じ取れる、損を、避ける、之が正しいと思っている事に成る。
その為にも私は、三流と言う事に成る。
自由や権利には、それだけ、責任を負うと言う、覚悟が必要と言う事に成る。
しかし、最近の風潮は、負や損を背負う、覚悟・責任から逃げる為に、自由や権利を主張する人が多い・・・・この様な国民性なら、独裁的統治しか無いと言う事にも成る。
自由主義国家を、自称しているなら・・・今回の、感染症が、一つのテストという見方も出来る。
患者認定は、己で出来ない・・・要は、己でその場所に行く、費用の覚悟が必要と言う事、若し、陽性と成れば、当然、仕事も人との接触も出来なくなる。自由を束縛される覚悟と必要と言う事・・・当然、お金も無くなる方向に成る。
要は試されていると言う事に成る。
勿論、優秀で一流と言う人が、多く居るように聞こえる、日本国、私の様に目先の部分を大事にし過ぎる人等居ないと思う・・・小事より、大事が、確り見えている人が多いので、心配は無いと思うが、
何度も書く様に、若し、一流や優秀の意味が、己の我欲を、現実化できる人を言っているなら、逆に怖いと言う事に成る。
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