先のブログで、ゴールを切った、結果が、幸せや幸福感と書いているが・・・
ゴールも色々有る・・・・簡単に出来・・・又自分の趣向に有っている・・・方向のゴールも有る。
この逆も有ると思う・・・・
境遇が良い、之を人は望んでいる。この環境で・・・・何をゴールにするか???
色々有ると思うが、先に書いた、自分の趣向に有って、得意で自分には簡単な、向いている方向のへ進むし、勿論、この部分でのゴールを夢見る。
この方向なら、当然、ゴールのイメージも自分の欲や趣向で良いと思える、ゴールを夢見る・・・・
之が意味する事は、高い結果を求める事に成る。
得意な方向、若し、自分のレベルがプロレベルと思っている、しかし、素人と比べて劣っていると感じたら????・・・・自分の努力不足を感じるか・・・逆に無かった事にする。
勿論、その後の言葉は、もっと高いレベルのゴールを目指しているので・・・・・・後は心、今回は勉強に成った・・・又は、こんな事は無いと忘れる・又は除外するか・・・と成る。
そつ都度・都度に小さなゴールが有るし・・・当然、予想と違って、悪いと思える、場合が有るが、その時の、心の動きが、大事に成る・・・
しかし、この方向性のゴールで、理解する事は難しいと私は考えている。
先に書いた・・・逆のゴール・・・・逆とは、自分の趣向等々と逆の・・・方向・・・・何故、私がと思える方向のゴールが作られた場合・・・・
当然、ゴールに向かおうとは思わないし、何故ゴールが有るのかその理由も解らない・・・
しかし、ゴールに向かって、行かなければ・・・・この部分は色々有ると思う・・・
イメージする事は、ゴールの過程で、好きでも無い苦労が多いだろうと思えるし、絶対に逃げたい、之が、自身の本能だし、思い・・・・しかし、勇気を絞り出して、挑戦した結果のゴールは・・・・殆どが感謝に繋がる。
ゴール時点のレベル・結果の度合いも、当然、課題に良い方向に考えていない・・・ゴールのレベルも低いし、若しかするとゴールを切る事が出来ない、このイメージが有って、ゴールを切る事が出来た・・・・之でも、感激や感動が有るし、感謝に繋がる。
要は、境遇が、全て一番でも・・・心・境涯はそうでない場合が有る。一番なのに空しい・・・・
何度が、私の小さな頃と、今とでは、感じ方が違う・・・・小さい頃は、竹輪を一切れ食べても天国の心地がした。
今は????
ラジオドラマを聞いて、画像を想像して、凄いドラマと感動した。
人は、簡単に手に入る、事での感動等ないと言う事・・・・
その端的はものは当然、唯物的物で幸福感等を判断する価値観が強いからない成る。
結局は、人との対比、この場合は持って物の、差・・・之で勝って居ると思えば、嬉しい程度・・・
又、感動しても、人の目が・・・・・・仮に持ち物の少しの値段差で、自分の物が、価格が高い、之を勝ちと考え、感動して、飛び跳ねて居れば・・・人は???と思うのが現実・・・
逆に負けたと、泣き叫ぶ、之も、人は????と思う・・・
この様な部分を競争して、何を求めているか????些細な嬉しいと言う優越感に過ぎず、幸福感で無い。
何故か、ゴールするまでの苦労と努力の差だと思うし、勿論、イメージ想像のゴールと大きく違っていた為だと私は考えている。
ゴールの瞬間、信じられないし、今の現状を理解出来ない・・・時間と共に心から湧き上がるものだと私は、考えている。
又、不思議にこの様な幸福感の場合、伝播する・・・周りの人まで、幸福感を感じる。
之が意味する事は、幸福の連鎖・広がりが出来る可能性が有る。
世間では、不幸の連鎖と言う言葉は、よく耳に入る・・・誰しも求めていないが、何故かこの方向に進む・・・・何故????原因は???と考えるのが人間と私は考えている。
各自、色んな考えが有ると思う、作る・奉仕する方向性の人・・・・食べる・奉仕を受ける方向性の人、色んな価値観が有ると思う・・・・
人は、感情の動物ともいわれる、心が基本と言う事・・・・しかし、見え難いから、借りの形としての物に成る場合が有る。
心・命と言っても言葉では難しい・・・その為に、借りの形として表す・・・しかし、時間と共に、形・物が、全て本当と成って行き、本来の心・命を忘れ去る・・・之も人の世の常である。
本来、聖人と言われる人達も、心や命の部分を、解って頂こうと・・・形・振舞い・言動として、放言している、この部分は化儀に当たると思う・・・簡単に書けば、結果、結果が良いか・悪いかに成る。
この部分が、正義は勝つ等々に、言葉に成っているが、之も現代では、勝てば正義と成って行っている。
解り易い、形、之が本当と向かってる事に成る・・・・・この部分が満たされても、心が満たされないという現象を作っている。
この形に進み過ぎると、極端な話に成るが、独裁者を作るし、独裁者は自分の周りは思う通りに成るので、幸福感も、多々有るだろうと思われるが・・・・現実の当事者は、逆だと私は、考えている。
算数的な思考か???・・・・修学的な思考か???にも繋がる。
もう少し簡単にすれば・・・・+の思考で、0は・・・無・・この価値観・・・現実社会で唯物的物は、0以下は無い・・・・しかし、人の頭の中や心・命の中には、-と言う、レベルが有る、この事は、0以下も有ると言う事・・・・
よく、お金の世界では、マイナスが有ると言う人が居るが、現実にマイナスのお金が有るか???
マイナスで無く、借金と言う形で、プラスのお金を要求されるか・・・・値引きと言う形で、価格から引く程度で、当然、マイナスの価格等ない。
之が現実なので、マイナスの人要請を知らない、マイナスは、引き算と思っている。
この部分が、強い人が多いので、算数と数学の違いを、解ろうともしない・・・
解らないから、数学の必要性も気付いていない。
当然、宇宙も、現在では、ビックバーンから始まり、物質が出来、広がっているとされている。全て足し算だが・・・・ビックバーンの起きる瞬間の少し前は、0に非常に近いと言う事は、若しかするとマイナスの宇宙が存在する可能性が有る。
私は、学問も無知だが、人として生きて来て、感じた事を書いているが・・・・肌で感じていると言う事・・・・
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