恥ずかしいが・・・天命を知る歳と言われる・・・年代になり、半分を過ぎたが、未だに天命を得る事が出来ないし、気付く事も出来ないでいる・・・・
唯、思う事は・・・地域の色んな世話人に成ったり・・・近所の高齢の老婆の面倒を看て来て・・・・少し見えたのは、後継・・・・この人をどう創り、育て・増やすか・・・・之が私の課題・宿題に成っている・・・・
後継者・・・不足と嘆く事は簡単だが・・・創る努力をしているかも難しいが大事だ部分に成る・・・
私は恵まれているのか、五人の息子を授かった・・・授かれば育て、社会に奉仕できる人として大人として、社会に出す、この当然の事だが、三人の息子は、各々社会で頑張っている様だ・・・
しかし、子育てが間違っていたのか、彼達の単位の幅が、自分から発して数人で終わる部分・・・
もう少し、幅を広げて欲しいと、小さい頃から私は色々、話してきているが・・・中々、その幅が広がらない事が、私の悩みに成る・・・・
勿論、実子という範囲でなく・・・広く、色んな子供や、青年達との繋がりを持ち、この様な事は機会が有る事に話しているが、現代の若者には「ウザイ」オジサンに成っていると思う・・・
しかし、誰かが言っていなければ、人の心には響かない・・・・・私の若い頃は、回りから仕事をしていても、親を大事に・・・家族を大事に・・・・子供を大事に・・・・等々、よく声をかけて頂いた、勿論、私にはとも思うが、若し私はと問えば、必ず「血の出るような努力をせろ」としか答えが返ってこなかったと思う・・・・
この様な、声かかけが、結果として私をつくり上げている・・・・
人々のお陰で私が存在するし、私が存在するから今の、子供達、家族が有る事に成るので、その感謝を、どの様な形で返して行くかが、今の私の年代だと考えている・・・・・
父の商売の借金返しで、朝早くから、10年位、新聞配達もしていたし・・・色んな事が有ったが、全て感謝に成る・・・
上の子供、三人は、人の恩のお陰で、社会人に成れたと感謝している・・・だから、その恩を子供達に教えたいと思っているが、中々、聞く耳を持たない・・・・之も最終的には親の私の責任に成る・・・・・
嬉しい、又は不安も有るが・・・今度の19日に次男が地鎮祭を行うと連絡が入った・・・一人前に近づいている・・・之も感謝に成る・・・将来は彼も解らないし、私も解らないが、彼も彼なりの考えで、前に進んでいる・・・・この行動で、誰かの役に立っている事に成る・・・・
後継者を作る・・・・この思いを誰しもが持っていれば良いが・・・若し一部なら、何人も育てる事が任務・・・責任・・・使命に成って行く・・・・・・
若しかすると、使命が天命に繋がっているのかも知れないが・・・・今の私には解らない・・・・
納骨堂の責任者として、今年は、色々勉強も出来たし、墓守の重要性も少しは理解できたと思う・・・・本来、20代の時に経験していればと、今は後悔している・・・・
逝った母が言っていた「子守・親守・家族守・親族守・地域守・仕事守・・・一杯の守が有り、最後に墓守・・・・此処までして一人前の人間」と口を酸っぱく言っていた事が、この歳で少し解る気がする・・・・マダマダ、青二才と言われるレベルと思うが、頑張るしかない・・・・
母が、最後の最後に、自分守之は、忘れる事と・・・先の部分をしていれば、結果として自分守も周りがしてくれると・・・・・
之が、恩・義理の世界・・・・この部分が無くなれば、誰しも守・・等々から逃げようとするし・・・最悪な方向、自己保身に邁進し、子供さえも捨てる、鬼に成ると・・・・・
この環境が、地獄と言う・・・・結局、人の慢心が、地獄の環境を作ることに成る・・・
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