逝った母がよく言っていた言葉・・・・・「聞くは一場の恥・・・聞かぬは一生の恥」・・・・
私には、大事な言葉に成っている・・・・無知で馬鹿な私は、この聞くことでしか、得る事が出来ない・・・・
解らない・知らない・・・之は、恥だとは私は考えていない・・・・単純に知らないこと等、有る筈・・・・
何の世界でも、知らない事が多々有るから、新たな世界を目指す時の怖さにもなる・・・
結局、無知が怖さに繋がっているという事に成る・・・・・
その為に、周りに居る人、全てが私にとって、先生だし、師匠に成る・・・・・私の無知な所を、埋める為に必要と成る・・・
しかし、周りに居る先生が、全て、私にとって、正しい先生かどうかが問題に成る・・・
その部分も、周りに居る先生が大事に成る・・・・・多くの先生が居れば、その違いが解りだす、なぜ違うか等々も、解って来るし、又 自分自身で試して何故と、疑問を持ち続ける・・・
仮に、A先生は右・・・B先生は左・・・・相反する答えが有る場合は、試す・・・・勿論、意味を理解する為に、物にするまで練習を重ねて、最終的に、自分自身で選ぶことに成る・・・
私の、考えの基本に有るのが、人は各々違う・・・・この事は、答えも無限に有る事に成る・・・
全て、正しい答えと思うが・・・之が自分自身に合う答えかは違うという事に成る・・・
最終的に、自分自身で答えを見つけることに成るし・・・・・その答えを導く為には沢山の先生が居る事は、私は大事だと考えている・・・・
最終的に・・・・・嫌に成ったり、辞めたくなる等々に成らない為にも、確りした、答えを持っているかに成る・・・・・
結局、続ける・・・この持続が一番難しい・・・
続ける為には、何時も疑問を持ち続ける事が大事だと思うし・・・・自分自身に駄目出しを続ける事だと思う・・・・若い時は、他人様が沢山、駄目だしをしてくれる・・・しかし、歳が増えるにつれ、この部分が減りだす・・その為に、自問自答をする事が、私の場合、増え続けている・・・・・
三流以下の私の場合、この言葉を大事にしている・・・・確りした根を張る・・・・之が無ければ、結果としての花も咲かない・・・・
勿論、花を咲かせるだけの、力が無い私の場合、花等は考えていない・・・・先ずは、根を張る、幹を太くする・・・・この目立たないが、大事な部分を強くする事を考えている・・・
人各々、違う・・・・直に花を咲かせる事が出来る人も居るし・・・今は、枯れないように努力する人も居る・・・・
生かされている場で・・・どう生きていくか・・・・
母が、「浮き草、家業に成るな」とも、言っていた・・・・・
収まる場所を、確り、得るために・・・何をするかに成る・・・
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