五男の件で・・・・嫁と喧々・諤々・・・・上の子供達も、嫁が甘やかし過ぎと言っているし・・・嫁が怒っている・・・・・
大家族で、自営業の私・・・・家には略、誰かがいる・・・・・
五男の一人にする事は、部屋に要る時だけで、それを五男は好んでしている・・・・監視する目から見えない部分に居ることに成るし、誰も居ない部屋、刺激が無いのも理解できる・・・
今日も、学校に行かないと、嫁にダダを捏ねていると私には見える・・・・・・・先週の3日間は母家で嫁が寝て、五男一人で、私の横の部屋で寝ていたが、何の問題も言わないし、行動も無かった・・・
しかし、今週に成り、五男と嫁が一緒に寝る様になってから・・・夜、嘔吐をしたり熱を出したりをしている・・・・・それを、心配して、嫁は、今日は学校を休んで良いといっている・・・・何時ものパターン・・・・子供に何故と聞くと、嫁が学校に行かなくて良いと言ったが理由に成っているし・・・・・嫁に聞くと、昨晩、嘔吐した等々を理由にする・・・・
結局、病気だと言う事が、理由・・・・・・
病気なら、病院に行けと私が指示・・・・・しかし、嫁は、大学病院の検査が無ければ処置が出来ないと医師が言っている・・・その為に行っても意味が無いと言う・・・・
その検査の予定日も28日・・・・その間、此れを繰り返す事に成る・・・・
サラリーマンの夫婦共働きなら・・・・結局、子供は部屋に閉籠もりを続け、その間で精神的に悪化方向に向って、検査を受けたときは、確りした病名が付く・・・・病人を作り出す方向のシステムに載る事になる・・・・・・
この様な、問題は、基本精神的部分・・・環境が問題と私は考えている、家と学校・・・どっちが居心地が良いか・・・・此れに成る・・・昔は今の時代で言えば、貧しすぎる家が多かった・・・学校給食がご馳走と思えた時代・・・・家に帰っても親は怖いし、家に居たくない・・・その為に外で遊んでいた・・・・・露骨に、親から邪魔と言われていた時代・・・・閉籠もる部屋も有るわけない・・・・・
今は、絵に書いた様な、良い親が居る・・・・居心地の良い部屋が有る・・・・一人で遊べる道具も有る・・・・勿論、食で、お腹が鳴る等々の経験も無い・・・・子供の居場所で居心地が良い場所を親が提供している・・・・・増して、親は良い親を目指している・・・・・・全て形である・・・・・
人は物で無いと私は考えている、環境より、心が大事・・・・・・その心が環境で振り回されている此れが悲しい・・・・・
若し、昔の家庭と今の学校・・・・ドッチが良いかと言われれば、直に学校と答える・・・・
学校が天国のように感じる・・・・・形の部分だけを取れば・・・
結局、嫁が、怒りながらでも五男を病院に連れて行った・・・・病院の対処は、ブドウ糖の点滴だけ此れは解っている、しかし、病気の為と言う部分の病気の処置は病院がする・・・・その措置を受けたら、次は・・・・・・・・学校になる・・・・・
この様な場合は、絶対に、諦めたら負け・・・・・徹底して考え時間を作り、行動する・・・本人が行動したくない分、回りが行動する・・・・一分でも学校に行く・・・・その為の努力を誰がするかになる・・・・・勿論、病名も検査後・・・この時期にこんな事が良い方向に向うか解らない・・・・・
しかし、親は子供の一生を見とどける事が基本、出来ない・・・・その為に、子供が親離れ出来る様に、如何行動するかに成る・・・・・嫌いな親と思われても良いと考えている・・・・
勿論、人間社会・・・・社会性も大事に成る・・・この部分もバランス・・・・・
何故と言う疑問を持ち、不満が有るから行動する・・・此れが人の発展の本質に有ると私は考えています。この疑問・不満を無くせば、発展も無い、逆に行動が嫌と心が思うと、此れが不幸と私は考えています。
幸福とは心の躍動・・・・・・此れが五男には今は無い・・・・・心が無い、ロボットの様の返答・・・答えも間違っていない・・・・しかし・・・・と・・・・私は成る・・・・・心の部分の、楽しい・悲しい・此れが言葉から出ない・・・・・単純に体がキツイ・辛い・・・・体が・・・が問題・・・・・
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