2024年3月5日火曜日

可哀想・・・送り届ける!!!

 最近、五男を起す作業は行なっているが・・・その後、送る作業は嫁が行なっている。理由は、私の体を気遣ってとのこと・・・感謝に成る。

しかし、最近、中々、五男が起きない、電車の時間まで10分と成っても起きない・・・部屋まで、無理して上がって起す様に成っている。

その後、どう送っているのか????嫁に尋ねたら、可哀想だし、遅刻させても、船の仕事、船が待たない、送っているとの事・・・

私は、何も言えない・・・息子達に対して、お金を稼げない私、出来るだけ、節約と、スクーターで本業も行っている状況下で、この状態・・・

この現実をどう捉えるか????私は何時も書くことだが、捉え方に成る。

仮に無駄使いをしたと言うことは、無駄を省いた節約が有るから出来る事でも有る。全て無駄使いなら破綻する・・・・

無駄使いが出来ると言うことは、何処かで節約が有って、それが還元しているという宇事に成る。

その役に立つ事を行っていると思うのか、損したと思うのか・・・この捉え方の違いは小さくなく大きい・・・この些細な事だが、現象の有る現実社会で生きる、人間には大事な部分だし、此を間違えば、先のブログにも書いている様に、恨みが発生し・かたき(敵)と思うと、敵と言う存在が出てくる。この敵が、生きている間に増え続ける、己以外は敵という生き方に成れば、どうなるか????当然、戦争・破滅と成るのは誰しも想像が出来ると思う。

この様は価値観の世界が、一神教の世界と言ってもよい・・・己以外は敵、的だから抹殺しても良い・・それが出来るための力、力が有るから思うように成る。この様な価値観の組み立て方に成るし、この価値観が解らないと言うなら、生きる価値が無いと言う、考えにも繋がっている。

要は、己が好みで創ったルールに従った戦いしか無い世界・・当然、勝つ事が必然と成る。勝つためのルールを勝手に創っている。

このルールに従わない奴は敵・・潰せ・抹殺セロと言う流れに成る。

己以外は信用できないとなれば、何を信用するのか・・・物になる、唯物論に成る、物の大小・優劣で、価値を決める、当然、その基準も力が有る立場が創ったルールにに成る。だから、人々は優秀な消費者として育てれっれちえる。貪欲に我欲を貪って欲しいと言う育て方に成る。その為には、当然、力が必要、その力は当然、上手に手に入れる事に成る。

この上手にが、人の懐に入り込み、取り上げて貰う事が一番簡単で有る。

要は、権力を持った、人達の奴隷として生きる人しか、旨みを吸うことが出来ないとなる。

何度の書いているし、私はブログを掲載当初から書いていることだが、人が生きると言うことは、違うと考えている。

要は、物質的幸せが解りやすい、しかし、現実は、心が安穏なのか???此が大事で有る。

何度の書くように、不満足の体・不満足の知能しか持たない、人間、完璧出来ない・・・要は、欠陥品で有る。この欠陥品が当り前と捉えきれるのか????・・・又、人は人様が要るから生かされている。個では生きれないし、死ぬことも出来ない・・・・人が居るから、己が居ると言う事、己が大事ならそれと同じ位に、他人様が大事だと言う事に成る。

逆に、己がそれ程大事と思わなければ、他人様も同じで有る。

しかし、この一神教的価値観が日本国も蔓延し、聞き答えの良い、世界のグローバル化等々で、世界の常識等々言って、日本古来からの文化の継承が断絶しだした。

結果、この様な生き方を求めている人が、何時も口で言われることが、他人様に迷惑を掛けない・・・生き方をしているし、その為に、昔からの柵等々が鬱陶しいし、早く無くなれば、それが人を自由にすると言っているし、それが世界の常識だと言っている。

本当に、己だけで生きて行けるのか・・・逆に死んでいけるのか・・・私は疑問が有る。私は何度も人様が要るから生きされている・・感謝だと書き続けてきた。当然、私自身も好みがあり、嫌いな人も居る、嫌いであるが、敵では無い・・・何故、嫌いなのか???・・・疑問を持って、己に問題が有るので無いかと疑う事にしている。そうすると、己が劣っているからその様に思っていると言う事が解り出す。

嫌いな人が、己を育ててくれていることになる。

何度も書くことだが、「生老病死」は誰しも必ず、起きる・・・全ての生き物が、この流れに従って進んでいる。人間だけを見ても先輩達が居るし、後輩達が居る。先輩達の姿が結果、己の将来の姿になる。全て順送り・・・己だけは違うと、願い・祈っても、この原理から逃げる事は出来ない。

身一つで生まれ、色んな人達のお陰で、成長でき、一人前と言われるレベルにまで達したら、当然、恩有る人々に恩を返す必要が出てくる。此が後継者の育成等々に繋がっている。

結果、終焉に向けて、人様の手が又、必要に成ったときに、手助けする手が騒がなくても、心配しないでも、出てくる。

此が、日本本来の価値観である。

今日は、嫁が五男を職場まで送り届けたようだ、それが、出来たのも感謝に成るし、少しでも燃料代の節約と、スクーターで動いた意味が有ると言う事になる。

間違っても現代の価値観なら、無意味の努力と、捉えて、努力をしなくなる方向の価値観に成っている・・・

己の為の努力など、誰しも出来る事・・・努力と言うなら、人の為に尽くせ・・・・それが出来る期間も人には有る、勿論、死ぬまでだが、能力が有るとき、無い時が有る・・・有るときに、それを何処に向けるかが大事、間違っても優秀な消費者として生きていたら、最後は幸福だと思えなくなると思うし、可哀想で有る。

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