以前書いているが・・・仕事・私事・・・二つの「しごと」が有る。
言葉は同じだし、行っていることも同じでも、思いが違うと言う事に成る。
今日は、嫁は公休日、今日休暇にしたのも、隣町でのイベントのゲスト出演という依頼を頼まれたからになる。
その為に、朝早くから現場にむかった・・・私は留守番になるし、嫁もバタバタして出て行くので、後始末等が家に有るので、その処理を行って、昼食を作り、食しようと考えていたら、長男が仕事の途中、腹減った~~~~・・何か食わせろと来訪してきた。
長男の昼食も作り・・・・仕事に戻ったと思ったら、今度は嫁が帰ってきた。今日、施設でクリスマスパーティーをすることになっているが、金欠の施設、飾る等々のグッズが無いと言う事で、我家から色々持ち出すとのこと、簡単に済む物を物色し、冷凍食品のたこ焼きを大量に非常食として置いていたが、それも持ち出して、出掛けていった。
その際、イベントの打ち上げが有るから、帰りは又、イベント会場に行くと言っていた。
彼女も大変だが、体が軽く動いている。普段、頭が働いているのか???と思う事も多々有るが、確り意識が有り、今後の段取り等々を遂行している・・・楽しそうであるし、本人も幸せのようだ・・・・
私は、彼女の仕事と思っている。当然、対価としてお金は望めないし、逆にお金を使うことになるが・・・人様が喜び、その役に立っている。人に仕える、氏に仕える・・・仕事という事に成る。
勿論、己の欲、特に金の為は働きは私は私事と思っている。
勿論、職場に必要と思われ、同僚の為に役に立っているなら、又、別になるが・・・この部分も無い、単に給料のための仕事なら、私は私事だと思っている。
人様の為に頑張っているから、許して下さいと言う意味と、己の為に頑張っているので、許して下さいと言う意味とは大きく捉え方が変わる、当然、私の場合になる。
燃し、仕事も約束、契約だからと言う理屈、同じ様に人様との約束、契約も有る。どっちを優先するか???と言う事が常時ある。
勿論、この部分も私は差別主義者と自称しているので、有ると言い切れる。しかし、平等主義者なら、当然、同感覚で判断していると思う・・・しかし、この様な綺麗事を言う人に多いのが面倒な人の為等々に関心が無い人達が多い・・・・
私の感覚だと何度も書くように、現実離れした、綺麗事が支配し、損得勘定・勝ち負け論・・・・目には目よと向かうが、現実は、損したら損を与えろ・・・・逆に利を得たら利を与えろと何故か成らない・・・これも平等主義者に多い・・・最近、倍返しと言葉は流行ったが、私は恩の倍返しと思っているが、逆に、損の倍返しなら・・大変な世の中という事に成る。
要は、我地域の問題、不法投棄のゴミ問題と同じ・・・捨てる人は容易い・・・しかし、それを処理する人は、大変さの次元が大きく違う・・・・
燃し、この処理している人が目には目をと、他の行政区にゴミの不当投棄をして許されるし、二倍のゴミを捨てても当然と言うことになる。
これも何度も書いているが、負けなければ良いと思う。勝つ必要も無い・・・・何為に、100年生きる事も出来ない人生を使うのか????
絶え忍ぶ事が楽しい、面白いと捉える価値観も必要と思うが・・・・
嫁がいつ帰るか解らない、四男も車で出掛けている。
五男は仕事、当然、駅への迎えが待っているが、バイクで行くことに成るし、夕食等の準備も考えなければ~~~~
買い物が出来ないので、冷蔵庫に有る物で対処したいと考えています。
病で、時間を持て余していると、家族から見られているので、家事を一強懸命にしなければ、怖い・怖い・怖いとなる。
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