明日は、母の里の盆客として誘われている。感謝に成る。
母の父母への報告も有る。半年ほどだが・・・年二回のこの様な場、夏は盆・冬が正月になる・・・
私の祖父母に報告、これは孫として当然の振舞だと私は思っている。当然、祖父母は、二親に各々に父母が居るので、四人は居ても不思議で無い・・・・四人に報告、これも、孫としての責務だと私は考えている。
先人が居たから、今の私が居るし、存在できている。このことに対して、感謝しているのか????・・恨んでいるのか????・・・各自の捉え方で違うと思うが、私は感謝している。この思いは当然、先人に伝えたいと思うし、その為の言動を取ると言うことになる。
色んな事を経験できている、良い事も悪い事も、全て私には意味が有ると思うし、その結果、先に書いているように、私を祈らせている・・・特に感謝という思いでの祈りが出来る事が、幸せの証拠とも言える。
恨み殺す等々の方向性の祈りも有る。この方向では人は、幸せになれないし、当然、現状が不幸だからこの様な思いが出てくる。
悲し、間違った、使い方の祈りになる。
後は、嫁里の盆客の日が20日と嫁が言っていたが・・・私の責務が終了という事に成る。
勿論、体に自信が有れば、友人・知合い等々の盆も有る。墓が仏壇に手を合わせたいと思っているが、相手様の迷惑になると思い、基本、墓参りをライフワークにしていたが・・・この様な体に成ってからは、、それも無理になってきた。結果、我家の仏壇に祈ることになる。追善供養と言う事に成る、場所は拘らない・・・その思いが大事だと私は考えている。
勿論、体が動くときは、その能力を使う・・・能力が無くなれば、他でカバーする・・・これが、人間の知恵だと私は考えています。
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