今日は、従兄弟の初盆の参列と・・・その後は我家の盆客の受入れ・・・
後、三男家族が来れば、終了となる。彼達も若嫁の里の盆客として、その後に我家に来ると言っているが、時間がハッキリしないので・・・一先ず、中休憩となっている。
その間に、ブログUPを行なっています。
最近、私の感覚が変わった、価値観が又、増えた感じがする。理由は、祈れる感謝・・・この様に考えきれるように成ってきた。
以前は、祈るという事は、唯物的部分を全て行なった後の、慰め的な意味の祈りだと思っていたし、その様な捉え方をしていた。
その為に、全ての策を講じたか???・・・これに自信が無いのに、祈るという事は、他力本願的な祈りで、私は好みで無く、負け犬の遠吠え的に捉えていた。
要は、祈るという事は、負け犬の振るまいとも思っていた部分が有る。
それが、最近では色んな理由で祈りたいと言う思いが出てきた。要はその様な事柄が、結果として私を祈らせている。この様に蚊が得ると、その事柄自体に感謝しなければと思えるように成ってきた。
昔は、嫌・避けたい・逃げたい・得たい・儲けたい、等々、己の我欲で、祈るという流れだったので、祈ることは負け犬の証拠とも思っていた。
理由は先に書いた、現実的に言動等、確りその方向のために行なっているのか????行なっていないのに、祈って解決させる、その様な虫のよい話は無いと私は思っていたので、祈るという捉え方が、己の弱さを表す物だと思っていたが、大きく違う事に最近、気付くように成ってきた。
唯物的な意識が強く、理数系が好きな私、祈りから一番遠い処に居る私が、祈る意味が少しは解ってきたし、私を祈らせる、事柄に感謝と言うことになる。考えようでは、奇跡を起した、何が、私の周りで起きている事柄が、結果として、私を祈りに向かわせた。
今日も、我家族が集まった。私も先祖の期待に添えているか????等々を、考えている。当然、解らないので祈ることになる。
無知で解らない部分が多々有る私、この無知・煩悩が結果として、私を祈らせている。凄いことだと思うし、奇跡的な事だとも思う。
愚かで、無知な、凡夫の身の私が、祈ると言う、崇高なレベルに近づいている。凄いことだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿