明日は、父の命日に成る。19日に一周忌の法事を予定している。
父の思い・・・又は残った親族の思い・・これを形にする場だと私は考えている。
父は、終戦後の教育で、価値観が、個人主義で、自己本位制・・基準は、勝ち負け論・損得論で事を考え、生きる目的は己が思うような環境にしたい・・その為の命、生き方と思い込んでいた人に成る。
私とは、何時も諍いが有る。父に指摘すると、親に命令等々、有りえないし、なんという親不孝な奴と言われ続けていた。
私は、父本人より、○○家を重視して意見を言っていた。しかし、父は、己本位主義・・・己が居るから家が有ると発想・・・・
我儘が過ぎるし、逆に出来ないと、被害妄想に成る。直ぐに被害者ぶって他の責任・・・こんな姿を見ていると、変える事は、難しい、背負うしかないと思う様になった。
そんな中、最後は、保険金が欲しくないか???・・・等々、対価が有るから命令を聞けと言い出す。私は、そんな物が欲しいから家族として一緒にいるわけで無いと言ったために、全て妹にやると、成ってしまっている。
要は、妹が第三者的に父の面倒を看る、要は施設に入れてその保護者と言う事・・この状態を父が危惧した、父からの電話は、俺が死んだら葬式をしてくれるか????・・・当然、私に死亡の連絡が有るかもわからない、又、妹は自分の夫の葬儀も連絡をしてない・・・どうなるか、想像すれば予想は出来るはずと言うと、父は泣き出していた。
私は、父が選んだ道・・・駄目だと言い続けたが仕方が無い・・・
しかし、死亡したと言う連絡が妹から有っただけでも感謝だと思うし、新型コロナでの死亡の為に、顔を見る事も出来ず、火葬と成ったが・・・遺骨を、妹が私に渡してくれたので・・・その後、小さいが葬儀が出来たし、初七日・49日・お盆・正月・一周忌と法要を行う事が出来た事に感謝している。
当然、私も寿命が有る。何時まで開催できるかは、解らないが、法要は50周忌で終ると言われる。当然、私の年齢だと110歳を超える年齢に成るので、不可能だと思う。
その為に、後継者として、息子たちが居るし、育てたつもりだが、何を見て、聞いてきたのか????・・・不安が有る。
当然、己だけでない、彼達にも妻が居る・・妻の両親・祖父母も居られる・・・少子化の為に、一人っ子も多いし、跡取りが居ないと言う処も増えている。結果として、我家は五人の息子たちが居るから、少しは余裕が有るが、誰が墓守、法要を取り行っていくか???・・・これが問題に成る。この分が、若嫁の両親たちも考える年齢に成っているようで、嫁里の方に大きく傾いた生活を行っている様だ・・・
その為に、今度の法要、我家の事と言う認識より、外からのお客の感覚で居る。
現場を作り、運営する側だが、お客として座布団に座ろうと思っている様だ。
我家の方は、それでも許せる、子供たちには、我家より、嫁里を最初に考えろと何時も言っている。
台風等の、天変地異の時は、先ずは、己の家族だが、その次は嫁里・・この順序で動けと言っている。
私と同じ、血を持つ、結果として鬼畜の命、己が最優先に成るし、次は血の近い方からに成る。この部分は無意識でもこの判断で体が動く・・・
その様なタイプだから、頭では、一番忘れやすい人を最初と意識し続けないと、本当の鬼畜に成ると言っている。
勿論、全て平等と言う人たちは、冷静に、力を必要とする人に応じて対応できると思うが・・・私の様に、鬼畜の場合、どうしても己が最優先に成る。次が血と成る。
私は、異端だし、劣っているし、病を患い、障害者と成っている。当然、優秀で一流の差別なき人たちが多い国、私の前には道が整備され出来ていくと思うが、現実は、草だらけで己の足で歩けない状態・・・誰も手を貸さない・・・地域制だと思うが・・・良い国と聞こえる一般市民の自己評価・・・しかし、他人は???・・・どの見え方が正直で現実的なのか???・・・私は、現実の中で生きている。
今回の法事は出来る様だ・・・己の寿命に感謝だと、己の心で約束していた、先祖の供養・・・続けられるだけ続けたいと思うし、今の私が居る、又、感謝できる・・・後、必要な事は、それに対しての報恩に成るし、感謝の証に成る。
これも出来無くなれば、鬼畜だが、鬼畜以下に成り下がったと成る。
せめて、最後は人間としてこの世を去りたい・・・・
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