2022年12月13日火曜日

人は感情の生き物!!・・・・

 今朝も、四男と五男を職場に向かわせる為・・・・私には戦いと思える事を、毎日行っている。

目覚めが悪いので・・・起こしだして最低でも30分必要だし、基本、モーニングコールを何度もかけ続けてに成るが・・・それでも駄目の場合・・彼達の部屋まで階段を私の場合は、這い上がる事に成る。目覚めても、二度寝・三度寝・四度寝・・等々が、当たり前の為に、何時まで続くか解らないと思えて、私の場合、感情的に成るのを、抑える事で、ストレスが多く溜まりだす。

最近は、感情的な振る舞いは人間でない等々と言う風潮をマスコミ等々が誘導しているようだし・・・世間の殆どの人がその様に思うっている様だ・・・

要は、息子達を起こす、この作業も、現実には息子達から頼まれ手に成る。

依頼を受けたから、モーニングコールをする。勿論、目覚めない・・これで仕事が終わった、依頼は達成したと思えれば良いが・・・起こす事を依頼され、その策がモーニングコールと言う事で、他に策が無いか等は、当然の事だと思うが・・・・この様な、色んな策を用いても、起きないと成れば、どうするか????・・・

依頼を100%達成すると思っているなら、感情的でも暴力的でも最終手段と言われても、依頼を達成する方向を私は目指す。

しかし、この感情的な言動が問題となるし、加害者として処罰される可能性が増えてきた。

仮に、出来ない・出来ていない・・これさえ気付いていない人が居る。叱ったり、若し、叱咤したら・・・パワーハラ等々で、暴力を受けたと捉えられる。

結果、優しい言葉で、説明しても、耳に入っていない・・・結果、耳障りの良い、興味を引くような言葉で、例とすれば、日頃頑張って居るので、少しは気を緩めたら~~~等々、言ってしまったら、嫌みと捉えず、耳障りが良い、理由として、気を緩めろと上司が言った、指示したと言い出すし、思い込む・・・

何度も書くが、耳障りの良い言葉を求め過ぎる、逆に、耳障りの悪い言葉を避け過ぎると、この様なタイプに成ってしまう。

要は、教育・育成が出来難い人と言う事に成る。

要は、耳は当然、目も・・・等々・・・情報を得る五感が全て曇っている事に成る。特に、聞きたくない言葉・単語は全く見えない煙幕状態・・・・興味が有り、耳が求める物は、何故か、拡大して見える・・・

この様は人を、昔は愚の骨頂と言っていたが・・・今はこの立場が一番良い、理由は直ぐに被害者として、加害者を責められると成っているし、攻める理由は、当然、お金と成って行くと思う。

今、後継者育成が難しいと言われる。何故か???・・・我が子さえ難しいと思える時代・・・他人様をとは到底思えない時代に向かっている。

しかし、それを埋める様に、平等と言う単語は独り歩きしている。実子も他人の子も、同じと言う事だし、たまたま実子が駄目だったと言う事で、他人だと解らないと言う事だと思うが、それが出来るか???私は出来ないし、違いが有ると思っている。

平等主義者なら当然の事と実子との差を付けず行えると思うが、その様な人を私は見た事が無い・・・・

本心を書けば、己は何者かを・・誰しも知っていると思う・・知らなければ、知ろうと努力したか???・・・

項目を決め・・それに対して、己は???と書き入れていくと・・・当然、他人様と違うはず・・・

しかし、マスコミ等が誘導する、姿を己だと思い込んでいる。

結果、世の中、社会の中で、言動を繰り返している己は、仮想な人、作られた人と言う事に成るし、実感が無いから、本当の面白みが無いし、感動も無い・・・己は、留まり・・誰とも縁を結ばない・・

考えようでは、権力側に対しては、都合が良い、奴隷と言う事に成る。

要は、我が子に対して、どの様な事が出来るか、躾は???と考えた場合・・・出来ない環境・社会と言う事に成る。

当然、子育を断念する人も出て来るし、その前に、他人様を後継者として育てる、夢の夢は無しに成って行く・・・又、その見込みが有ると言う場合は、その様な育て方をされているので・・・他の人からも期待が集まる、結果、それを苦痛と考える人も出て来るのし、人は平等と言う観点から離れる事に成る。

昔は嫁探しだったが・・・今は、婿探しに向かっている。要は、○○家が厳然とある・・・最終的にその家・墓を誰が守るか???その序と言う形で父母・祖父母の面倒を看るか???・・・この部分の素地が有る、婿を求めている家が増えている。

勿論、家の家長の価値観に成るし、年齢も関係する。

後を託す人と考えだすと・・・その場の一瞬の損得勘定では判断が出来なくなる。

一家・一族・・・等々・・・最終的には社会に、その素地を持った人を欲していると言う事・・・

私の叔母・叔父達も、免許の返納が最近、話題に成ってきた。近くに実子が居ない等々が有る。

私もお甥として、足に成れたらと思っている。私の場合、実父母は逝ってしまったので、居ない・・身が軽いと言う事に成る。

軽いと思えるなら、誰が??と成っても、直ぐに己がと答えが出る。

勿論、平等主義者なら・・思う事も考えることも無く、自然に無意識に出来る事だと思うが・・・私の様な差別主義者だと直ぐに己を大事にし過ぎるし、過保護にしてしまう。結果、他人様等との差が大きくなるから、差別と成る。

私の場合、何度も書く様に鬼畜の命が強い・・結果、思い続ける。考え続ける、語り続ける、書き続けないと、直ぐに、鬼畜の命が表面化する。

今は、鬼畜の命に感謝している。この命が無かったなら、知らない・無知な部分を学びたいと言う思いに成らなかったと思う。出来る事・知っている事、学ぶ必要も無い・・・私は多くを学ばなければならない立場と思える鬼畜の命が強かったから、色々な事から学ぼうとした。

馬鹿のようだが、何故、下に有るものは、暗いのか????・・・等々、不思議に色合いも、バランスの関係で、落ち着けると言う事も有るし、不安で落ち着かないと言う場合も有る。踏まれ・背負っている、似合う色が不思議に有る。

上に立つ、目立ちたい、俺は偉い、従えと言う色もなぜか有る。

神輿の上に乗る人は少数で良いし、逆に担ぎ手は多い方が良い・・・

どの立場を育て、育成しているのか????・・・若し、神輿の上に立つ人間なら、定員オーバーの為に、足の引っ張り合いが始まる。乗れるレベルには達したが、席が空いていない・・・

この感覚の人が、担ぎ手不足の場に来ても、当然、役には立たないし、足を引っ張る方向に成る。

己はどの立場か、ポジションか???・・・これも確り考ええる必要性が有ると私は考えている。

全ての人が、同じ競技で一等賞を取れるわけが無い・・・


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