昨日・・・父の四九日の法要の、下準備がほぼ終了・・・・
今後、初盆・・一周忌・三回忌と続く事に成るが・・・・一番、費用か嵩むのが、私の場合四九日法要に成る。
仁義は、借ってでもせろ・・・之が、母の教え・・・
現代風に考えれば・・・妹の様に、何の意味が有るのか????・・・お金の無駄使いと捉えても仕方が無いと思う。
要は、お金の使い方の捉えたど思う。私は、法事等の仁義は無駄とは思わない・・・
私は、普段の生活は、分相応と言うより・・・分以下で生きる・・理由は、仁義等が有るので、この部分は、己の分ではと言えない部分が有るからに成る。要は、己の分を超える仁義が発生する事が有ると言う事だし、特に、一般の人より分が低いと思っている私の場合、分以上の仁義が殆どだと考えているからに成る。
周りから、思われ、予想されている、私と言う存在が有る・・・当然、三流で劣っている・・・之を前提に考えれば、仁義もこの程度と想像されている。又、私のレベルを解らない人なら、普通と言う基準で事を判断されている。
私の分なら、一般に言われる普通と言うレベルには到達できない・・・しかし、仁義に対しては、普通以上の事を、特に己の分以上の事を、見せる事で相手に対して、強くイメージが残ると考えている。
母が言っていた、借ってでも仁義をせろ・・・要は、仁義をするなら、したと言うイメージを相手に残す・・・この部分が大事と言う事だと母が言っていたと捉えている。
その分、日頃の生活は、分以下、質素に・・・・・
仮に、日頃を分以上の生活をしているなら・・・当然、仁義等は、負担に感じるし、注視している部分は、日頃の己と言う事に成り・・・滅多にない仁義等を意識していないし、若し起きれば、無視したと言う思いに成るのも仕方が無いと私は考えている。
要は、己が居るから、社会が有る。世間が有る。世界が有ると言う、価値観に成る。何度も言う様に、独裁者の基本的、価値観と同じと言う事に成る。
私は、世が有るから私が生化されていると考えている。世に対して感謝しているので、感謝の思いが、人様に対する仁義の考え方に繋がっている。
又、何度も書く様に、私は差別主義者の為に、人も優先順位が有る。世に対しての感謝も、結果的に、私の近場の他人様に優先が向く・・・世界と言う広さで、遠く離れた会った事の無い人等、当然、意識が薄くなるのが、私と言う、差別心が有る人間の考えに成る。
結果、仁義も、近場の人に対し、その人達が世間の代表者と言う捉え方で私は行っている。
地球上に生まれ、日本国で育ち、地域社会の中で、生かされた・・この感謝の思いを、代表としての、親族に対して、行う仁義だと私は考えている。
その為に、世間に対しての、儀式だと言う捉え方が私には有る。
何の為の儀式か????・・・当然、世間様への感謝の為に成るし、感謝が大きいから、己の分を超える仁義に成っていると言う事に成る。
今回は、父が82年間 生かされた世間様への感謝の儀式の一つが、葬儀だし後々の法事と私は捉えている。一杯の感謝が有るから、当然、仁義も大きく成る・・・
一杯の迷惑をかけたと思う空にも成る。
私は、出来るだけ世間様に迷惑を掛けたくないと思って生きている。若し、本当に、世間様に全く迷惑を与えていないなら、黙って、死ねば良いし、儀式等も必要とは思わない。
しかし、厳然と、人様の迷惑を掛けているし、世間様から多くの施しを受けたと感じているので、当然、儀式が必要に成る。要は、感謝を表す儀式と言う捉え方が有るからに成る。
私は、何度も未来を危惧すると書いている理由は・・・独裁者的価値観が、普通と言う世界に向かっているからに成る。
独裁者的価値観で体勢を創った国のリーダーは、強い独裁者的人が選ばれ出す。
理由は、普通の捉え方の大勢が支配するのが、社会と言う事に成り、社会の延長線上に国が有り、世界が有ると私は考えているからに成る。
今、戦争が勃発して、話題に成っている。国や組織、リーダー等を注視している。私は、民衆・特に弱い立場の人たちは、悲惨な状況、これが許せない・・・勝っても負けても、悲惨の弱い立場が居る・・・当然、争いと言う無駄な部分に資本を費やしているので、益々、弱い立場は悲惨さが増す。
言葉は、捉え方が大事・・・仮に、自由と言えば、誰も否定しない・・・しかし、自由の捉え方は、各自で違うし、勝手に成る。
仮に、貴方は自由が大事だし、私は尊重します。となった場合、貴方側は、自由を尊重してもらえるなら、多くの我儘を叶えて貰おうと思う可能性が有る。
叶える側の自由が有るのか????本当は人様の我儘等、叶えること等は私の自由でないと思っているかも知れない。
若し、自由と負う言葉を吐くなら・・自業自得、勝手に死ねと言う意味と私は捉えている。
被害者コスプレとも言われる現実が有る。私は被害者も加害者も同類と考える。
理由は、仏法意識に有る、生まれる場も、己が選んで生まれたと成っているからに成る。
生れた、場も環境も、己が選んで生まれたと言う事・・・要は、被害者で無く、当事者としてどう取り組んでいくかと言う事・・・
一神教世界には多い、捉え方が、上下感が有り、生まれが場を恨み、被害者的、捉え方に成る。
この世には、学び・改善の為に、生まれる・・・若し、この土地、日本国の場合、天変地異が多い国・・・その為に逃げる、去ると言う考え方も有る。
しかし、学び、知恵を付け、その対策の為の、努力を行う、これが生きる人の振舞いだと私は考えている。
地面が揺れ、壊れる、大風が吹き暴れる・・・大雪が降り・大雨も降る・・・しかし、逃げなく対策を試み続けて、今の国が有る。
若し、何処かに、天国の様な、土地が有るとするなら、その土地を目指すと言う考え方も有るが、結果、そのれ目指す人々が多くて、争いが起きる事は想像が出来る。
敵に塩を贈る・・・この精神が、日本人には有る・・・勝ち負けに注視し過ぎる危険性が有ると言う事・・・何の為の・・この部分が大事だと私は考えち得る。
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