何度が書いている捉え方・・・・当然、色々あると言う事が前提で私は事を考えている。
私なら この様に捉える・・当然 他人様は違う可能性が有ると言う前提に成る。
特に注意が必要なのが、一流や優秀な人の捉え方が正しいとは限らないと言う事・・・要は、その様な価値観の人はこの様に捉えると言う、一つの捉え方を示して居ると言うだけに事と私は捉えている。
何度が書いているが、私は変わり者で劣っている、異端児と言う事で、世間様から色んな仕打ちを受ける・・・・直接的、仕打ちも有るし、それを見て傍観者の様な人も多い・・・
私の捉え方だと、直接、己の思いをぶつけて来る人より、何も言わず、傍観に徹している人の方が怖いし、何の処置も取れない卑怯者と捉えている。
勿論、強い直接的仕打ちをする人の影に隠れるようにして、それを応援し、協力するこの様なタイプも、卑怯だし、表舞台に目立つ人より憎しみを抱く、捉えかに私の場合は成る。
勿論、変り者の私なので・・・直接的、暴力以外にも、無視される暴力等々、色んな振舞い方にも暴力を感じているのだと思う。
要は、何故、この様に思うのか、私の捉え方だと、当事者の立場と思うが、傍観者は当事者意識が無い・・・之が卑怯だと思う部分に成る。
今、盛んにマスコミ等で、今回の戦争の当事者同士の、戦い方に対して、違反行為等々を言っている。
無差別攻撃は、先の大戦の時も違反だった・・・・日本国は、大空襲を受け、非戦闘員の多くが亡くなった。又、原爆と言う、兵器で二度、非戦闘員を死傷させ、後遺症等で長年苦しめている。之が、勝てば官軍と言う事で、違反に対して何も処置を受けていない。
この様な負を糧に、成長が出来たから、大きな問題とは、今は成っていないが・・・要は、その後の己の変化で、捉え方も変化しだすと言う事に成る。
考えて見れば、自分と捉えて・・・今の戦争を見る。違反行為と騒いでいる国の殆どが、無差別攻撃を過去行った国で、その報いを受けていない・・・勿論、反戦国として報いを受けた国も有るが・・・・
要は、その様な仕打ちを受けた、国の振舞いが、今後を左右するとも私は考えている。
泥棒に、人を物を盗むなと、泥棒が諭している状態と同じと言う事・・・・
何度が書いているが、価値観の一極化は危険だと言って来た・・・多様化を認める、容認できる環境が今後は必要に成る。
今、起きている戦争は、価値観の一極化に従わないから起きたとも言える。それを、別の価値観の国が、外から手を出し続けて、戦争が続いていると言う事にも成る。敵味方論だけの世界・・・大きな二つの価値観のぶつかり合いになっている。
今世紀は、変わらなければと何度も書いて来た・・・変わる事が出来なければ、動乱・戦争が起きるとも書いて来た。
特に一神教的、価値観、この指とまれ・・・・他を認めないと言うより、敵と認識してしまう価値観・・・私は怖いと考えている。
同じ、振舞いを、共産圏の大国が、行っている、「この指とまれ」当然、それを別の価値観の国は、危惧しているし、危険視しているが・・その国も同じ様に、「この指とまれ」と言っている。
勿論、指を出している国も、損得勘定が有るし、優先される。全ての国がと言う訳でなく、その国が得に思える、国に掴んで欲しいと思っているし、損と思える国は排除しようとする。
今のマスコミの報道を観て・・・識者が言っている事に、共感すると言う事は、己も、先に書いている、価値観の人間だと言う事の証明に成ると私は考えている。
何時も、怖いのが、己は関係ないと言うポジションを確保していると思って、事を進めている事・・・今回の戦争の当事者は、戦っている二国と思っている。
私は、日本国も、相手の国から見れば、交戦国だと捉えられても仕方がないと思っている。
先に書いた、異端児の私の対する、世間の仕打ちで、書いている思いが有るからに成る。
共に身を挺して戦っている、当事者は、充実感が有り、スポーツと同じで、解り合えると言う部分も存在する。しかし、傍観者を演じている人は、価値観の共有と言う部分が無い・・・一番怖い敵と言う、捉え方をされても仕方がないと言う事にも成る。
私は、これも数度書いているが、私に敵意を向けて、直接的振舞いをする人の中の、多くとは、個人的に、繋がりが何故か有る。要は、人として認めている部分がお互いに有ると言う事・・・価値観の違いが有るだけで、同じ人間と言う部分は、共有できていると言う事に成る。
傍観者等が怖いと言うのが、私を人として認めきれない人が多く存在している、レベルがこのレベルに有るからに成る。
要は、己の価値観が無いと言うより、状況次第、環境の中で、その時々の損得勘定で、得と思える方に、直ぐに鞍替えが出来る、立場、レベルと言う事にも成る。
キャスティングボードを握っていると、私は日本国を思っている。
しかし、国民は、西欧的、一神教的な価値観に染まり過ぎている。
もう少し、真剣に、当事者意識と、我が国も交戦国と思われている可能性が有ると言う、部分から、事を考える事が必要だと思っている。
スポーツ等のゲームで無い・・・人の命の火が消え続けている状態・・・敵味方論は、先の世紀で終焉していたと思うが、今世紀も続いている。
何故、異端児で嫌われ者の私が、厳然と、日本国内で、生きて来られている。この状態に何故、世界が成らないのか???俺は俺・貴方は貴方という考え方にならないのか????
勿論、不利・損な部分も多々有るが、俺は俺を変えたくないから、それも、仕方がないと考えている。
仲間を募ろうとも思わない・・・異端児も色々だし、変り者も色々、人で違いが有る・・・
私が何時も、危惧している、普通・一般的、この部分が、一番怖い・・・・世の中は、変り者で構成されている・・当然、お互いを認めていると言う世界・・・・違いは有るが、共に生きる、相互扶助を底辺に、共存共栄を目指す。
要は、金太郎あめの状態なら、共と言う発想も要らない・・・・違いが有るから、共にと言う考えが出て来る。
難しいが、異体異心だが、共存共栄を目指す。この部分の熱意・思いが命の底に有る事だと考えている。
私の家族を見ても、各々、勝手な振舞をしている・・・しかし何故か纏まっていると言われる。理由は、善否定しないし、底辺には受け入れると言う部分が有るからだと思っている。
損得勘定を超える、何かが感じているからだと思っている。
奇麗な言葉で言うなら、愛と言われるかもしれないが・・・私は、人が本来持っている、命の中の仏性だと思っている。
難しい事を言える立場で無い・・・私は、先のブログにも書いている様に、レレレのオジサンを目指したい・・・・・
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