十一年経つ・・・東日本大震災の三月十一日の午後三時前・・・世界が一気に変わった人達が大勢出た日に成る・・・・
私も若かった・・・その時、私が属して居た、ボランティア団体等々に、連絡し、何が出来るか、当然、私がと言う問い合わせを続けていた思い出が有る。
己が分で、何が出来るか???・・・考え、了解を得ようとしたが、受け入れが整っていないと言う事で、組織等の利用の限界を感じたのも、この時が初めてに成る。
単純に、無事を祈っていてくれと言う答えが多かった・・・私は先ずは行動とその当時は思っていた。祈る等は最後の手段と思っていた。
状況が情報等で、提供されるにつれて、この場にと留まっていて良いのかと、自問自答を行った記憶が有る。
今は、足手まといに成る、体に成っているが、その当時は、体にムチ打てば、無理も出来ていた・・・・・
地域の防災サイレンが、一斉に三時前に鳴りだした・・・黙祷と成る。
今は、胃のしか出来ないが、一杯の教訓を頂いた・・・それを後世に伝える義務がいま生きる人には有ると私は考えている。
いざと言う時の備え・・・現実に遭遇した時に、後悔しても意味が無い・・・
微細な違いで、生死を分ける状態・・・何か有ればと成らない為にも、平時の時に準備することに成る。
生き残れば、次の課題が発生する・・・・異端児で変わり者の私の場合、人を当てに出来ない・・己で対処することに成る。
特に、私の周りだけかも知れないが・・力が無ければ、周りは関心を向けてくれない・・・要は忘れ去られる存在と言う事に成る。
弱い立場は、己で対処する事が求められるが、当然、弱いから己で対処できない人も大勢いる、これも、想定して考える事に成る。
昼間の時間帯の自然災害・・・村内に、何人、動ける若者が居るのか???・・・動けない高齢者が何人いるのか???・・・勿論、私のレベルでは、向こう三軒両隣程度の範囲しか考えられないが・・・平時の内に調べる、知る事も大事だと私は考えている。
各自、レベルも有るし、分も有る・・・出来る部分は何か???と考える時だと思います。
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