2021年9月8日水曜日

埃と誇り・・・

 人が動けば、埃も出る・・・生きていると言う事は埃を立てている事にも成る。

出て当然の埃・・・・しかし、隠そうとする人も存在するので、人を叩けば埃が出るとも言われる。

要は、埃の捉え方に成る。

今、私が厳然と存在している。これが意味する事は、先人・先祖たちが生き、活動した結果・・・今の私が居ると言う事に成る。

当然、先人・先祖の振舞い行動の結果が私なら・・その行為・振舞いをどう捉えるかに成る。

私は、私が存在していると言う事だけでも、感謝と成るし・・・誇りだと考えている。

隠す必要も無いし、事実だし、それが有るから今の私が居る。これを否定する事は出来ないし、若し、否定するなら己の存在そのものが無いと言う事にも成る。

何度も書くが、人は、糞も屁もコク・・・生きているから当然と私は考えている。

それを恥と捉える事自体が、人を卑屈にして行くと考えている。

若し、埃を恥と捉え、之を出さない生き方が良いと成れば、己で何も振舞えなくなるし、行動も出来ない・・・全て受け身の立場が良いと成る。要は、埃が出る行動は、他人がすれば良いと言う価値観に成る。

仮に、一所懸命に働く・・・当然、汗も出ると思うし、汚れもする・・・この部分を恥と捉えたら・・・一所懸命に働く事は恥と成るし、恥な行動をしない・・・それでも生きれる環境を求める様になる。

現実に可能なのか????・・・要は、恥と思える部分を他人に任せ、その人達から搾取する事で、生き続ける事は可能に成るが・・・この考え・価値観自体が私は、恥ずかしい生き方・恥だと考えている。

勿論、違う価値観なら、羨ましい生き方に成るし、当然、同じ価値観の人には誇れる生き方ともなる。

誇れるなら、今い上位、誇りたいと、多くの搾取を考えることに成る。

現代の、日本国の風潮は、この方向が羨ましい、誇れる生き方と思っている人も増えている。大陸的、価値観に成る。

無限の欲が湧いてい来る・・子供・・餓鬼のレベルが幸せで良いと言う価値観に成る。

この様な人は、当然、埃を見せない・・己が恥と思っている部分は、極力隠そうとする・・・それが、人間として当然と言う振舞いも隠そうとする。

結果、誰しも叩けば、埃が出ると言う事にも繋がっている。

私は、叩く必要もなく、行動すれば、埃は出るし、之は当然と思っている。その都度、色んな批評を受けながら、生きていれば・・・隠す必要もない。

以前も書いているが、同窓等の、知り合いと、話す機会が有ると、言われる共通の意見が、自由で良いな~~~・・・色んな柵が無いから良いな~~~と言われる。

勿論、私にも、柵は有る、「さく」と読むが・・間違った方向に進もうとする時に、阻止してくれる柵が有る。しかし、「しがらみ」とは捉えていないので、感謝に成る。

要は、柵「さく」己の進みたいと言う方向に対して・・・それを阻止し、考えさせる場所をどう捉えているかに成る。「しがらみ」と捉えていると言う事は、当然、感謝の思いは無い・・・窮屈感を感じているし、恨みが発生しているかの知れない。

何故、「しがらみ」と捉えているのか・・・己に、恥と思える埃が有り、それを知っている、又、叩ける立場の人が周りに居ると言う事・・・要は、従属・蹂躙している環境に属していると言う事にも成る。

又、異端児・変り者・嫌われ者と言う、私が、それに属せず、良いと言うなら・・・

普通とは、この様な環境に属し、生きている人達と言う事・・・肩ぐるしいし、己の思いで無い扇動にも従わなければ、属して行く事が出来ないと成るし、当然、其れから脱する為には、埃等々を叩かれ、世間に表すことに成るので、相当な勇気も必要と成る。

要は、奴隷として己から進んで、その道に向かっている事にも成るが、気付いていないと言う事、当然、搾取されている立場も知っている、しかし、己は絶対に成らない、逆に搾取する側に成ると、信じ込んでいる事にも成る。

その様な環境で、些細な勝負事での、勝ち負けで、一喜一憂をしている、生き方にも成る。

百泣百恨の生き方との言える。

勿論、普通の環境が、この状態なら、その中で、生きるしか道は無い・・・しかし、どう捉え生きて行くかは各自の価値観、考えに成る。

要は、染まり切らず・・・己をどう残していくかに成る。

嫁が、何時も私に言うのが、何故、恥をさらす・・私は恥だとは思っていない、事実だし、現実だと思っている、勿論、それを他人がどう捉えるかは、人夫々だと考えている。

恥ずかしい事と捉える人も居るし、誰しも有りえる事と己の知恵にするか???それは、各自の勝手ともなる。

私は障害が有るし、疾患が有る。恥とは思わない・・・しかし、人様に迷惑を掛けるなら、対処の必要は出て来る。

要は、事実や現実を言えば、己がするべき事も増えて行く・・・出来ない事も人間だから当然と私は考えている。

私も死にたくは無い・・・しかし、どんなに努力しても、死ぬ事は必然・・・・物事の捉え方に成ると考えている。

生ある時間に何が出来るか????当然、後世に生きた証、出来れば、感謝に繋がる生き方をしたいと考えている。



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