2021年4月19日月曜日

法事の準備

 日曜日、母の13回忌の法事を予定している。

その準備が・・・今週中に整える必要が有る。

母の兄妹に対しても、恩を返す一つの行事と考えている。

共に過ごした月日が有る、兄妹・・・特に健在の為に、尚更必要と私は考えている。

要は、母が受けた恩を返す・・・死んだら終わりと成れば・・・恩を掛ける意味も減るし・・・血縁が無い、高齢者等に恩を与えても意味が無いと言う流れが出来れば・・・・誰しも高齢者に施し等をしないと成る可能性も出て来る。

勿論、見返りがない愛がある人なら良いが・・・・私の様な鬼畜の命を持ったものでも・・恩なら、掛ける事が出来る。

恩に対しては返す、義務が有ると考えている。愛には、返す必要性は義務として無いと考えている。

要は、お乗っている人間の為に、愛は無いが、義理は解ると言う事にもなる。

要は、母が受けた恩は、後継者と思っている私が返す必要が有ると言う事に成る。

本来、父・妹が参加する事を私は望む・・・受け入れ側として大事な立場と思うが、その価値観が無いので、今回も無理だと思っている。

その分も含め、私がどう振舞うかが大事に成る。

要は、家長として・・・父・妹の今後を宜しくと言う思いを、伝えなければ成らない・・・

しかし、叔父達は、本人の振舞いが答えと言われるが・・・この部分も当然、私の責任と言う事にもなる。

集団・会社等で考えると解る部分と思うが・・・何故か、縦社会の会社は理解できて・・・一族・家族と言う部分に成ると、解らなくなるのか????・・・・自由・平等の教育の仕方の問題とも思っている。

若し、恩も、愛と捉えて、返す義務は無いと成れば、誰しも恩を与えなくなる。

人が機械的に向うなら・・・正常な機械として生き続けなければ、廃棄されると言う社会に向かっている事にもなる。

私は、この正常と言うレベルに達していない・・・正常で無いなら、この様な価値観の世界なら、この世に存在しないと思う・・・・しかし、存在していると言う事は、色んな人の配慮・恩がそれを可能にしていると考えている。

当然、感じていれば、感謝に成る・・・この感謝の思いを返す場が、法事とも考えている。

勿論、多々の人々に成るが、その能力が私には無いので、最低限のレベルに成るが、法事を行いたいと考えている。

要は、母な誰のものか???・・・子供のものが????夫のものか???・・・兄弟のものか???・・・・当然、縁した人々すべてのものであると私は考えている。

一個の人間として、社会と縁して・・色んな人との繋がりで生かされていた人・・・その縁した人への感謝の場と言う事にもなる。

私も、最低限の人間の証を行う事が出来る・・・之も感謝に成る。



0 件のコメント: