2021年4月1日木曜日

相互扶助・・・これは集団を形成する基本部分に成るし、若しこれが無ければ、独裁的方向に向かう・・

 相互扶助・・・私のブログにはよく出る単語ともいえる。

集団を形成する、小さな単位の家族でも相互扶助が有るから、保たれている。

要は、幼いと書くと解り難いが、劣っている人を優秀な人が背負うと言う意味にもなる。

勿論、劣っている人も、成長し、変化を続け、優秀な人に成れば、背負える立場に成れる・・・要は、背負える立場に成るために、努力する事が優秀と言う事にもなる。

今日、嫁を職場に向かいに行き・・・嫁が最初に言った言葉が、又、職員が一人辞められるとの事・・・精神的に持たない・・又持病の、血圧が下がらない為と言う理由との事・・・

要は、色んな障害が有る人が、施設で生活をしている。その手助けが介護と言う立場に成る。

しかし、介護する側は、己を普通と思っているし、勝手に人の基準を作っている。

この基準に当ては成らない人だから、この様な施設に居ると言う事、要は、普通でない人と言う事に成るが・・・之が輸すされないと言う、命が有るので、己の精神状態が不安定に成ると言う事に成る。

要は、人と言う範囲が、その人が思っている、基準からどれ程度、離れるか・・・許容力と成る。

当然、優秀なら、許容力が広いはずであるし、優秀な人は、己は差別主義者と自称する人も少ない・・・人は全て大事だと口では言って居る事に成る。

しかし、現実は違うと言う事・・・

優秀で、力が有り・一流だから、人々から称賛され、色々、配慮を受けられると言う、大陸的価値観を持っていると言う事に成る。

本来、劣っている人が配慮を受けられる社会が、良い社会だと思うし、仮に家庭と言う単位で考えて、幼子に稼いで来いと言う、親が居るか???・・・しかし、それが言える立場が優秀で一流だと言う、価値観を無意識に、吸収している事に成る。

嫁が言うには、私は馬鹿だし、劣っている、その為に、入所者と目線は一緒か???、又はその様な人が居るから、私が仕事ができると、感謝していると言っている。

要は目線が下だと言う事に成る。

私が頭が下がる部分がこの部分、私の父とも関係性を良好にしていた。

実子の私でも、感情的に成り、何故、こんなことも解らないのかと、ツイツイ興奮してしまう。要は、私は鬼畜の命を持っているので、己の思い・価値観に当てはまらないと、興奮してしまう習性が有ると言う事にもなる。

嫁は、その部分が無い・・・現代では結果して認められないが、良好な関わり方が出来る。現代は、結果として利を求めるが、彼女はその部分が無い。

私は、入所者を特別な人とは思っていない、私もその立場に成る可能性が有るし、還暦を過ぎたので、何時なるかもわからないと言う、歳に成って来た。

以前も書いているが、近所の過去、学校の教師をされていた人さえ、役所からの書類の内容をよく理解できない状態に成られていた。中学校位のレベルが有れば、誰しも理解できる内容だが・・それが出来なくなるのが、人間でも有る。

不完全だが、将来が有る、子供と、違うのが、同じ、不完全だが、将来が不完全に向う立場と・・・・人間も歳に応じて変わる。

将来が有るから、期待も・夢も希望も得る事が有るが・・・将来が無いと思える高齢者に、子供と同じ振舞いが出来るかと言う事にもなる。

嫁は、子供と思えば、良いと言っているが・・私はそれが出来ない、要は、己の普通が有るし、その許容範囲が狭いために、鬼畜とも己を思っている。

正直、幼子の我が子が泣く・・・之も許されないと思う、タイプ・・・鬼と言われても仕方がない。

嫁が言う事に、人なら、人が見えるはず・・・見えるなら、対処が解るはず・・・しかし、私は己が中心の為に、見えない、要は鬼だと言う事に成る。

男として生まれたので、少しは救われる、鬼と言う振舞いが男ならできる、許容範囲が有る・・・

嫁が言うには、要は、人を育てると言う意味が私と違うと言う事・・・私は今以上に成長・・・この成長も、己の価値観に成る。

之が出来なければ、人との関わりの意味がないと私は思ってしまう。

しかし、嫁は、人との関わりは、成長等、度外視して、今の貴方と共に歩むと言う、思いが強いと言う事・・・・

この部分は、女、特に母親で無ければ、解らない部分だと、私は考えている。

母が言って居たが、他人の嫁だから、出来る部分が有る。死を目の前にして、言った言葉が、この嫁が居たから、私は幸福だったと・・・私の嫁に初めて感謝の思いを言ったことが有るが・・・女の他人だから出来る部分が有ると言う事にもなる。

実子の私は、母が弱る事が許されなかった、その為に、何時も感情的に成る。

しかし、嫁は冷静に対処できる。

淡々と、事を進める・・・之が、実子の私には出来なかった。

結果、母が弱る姿を見たくないと、見舞いにも足が向かない事に成る。

母が言って居た、嫁の大事さ・・・母の死を見て、解った部分も有る。

私も冷静な振る舞いを重視していたが、感情が顔に出るし、それを敏感に母は感じる。

心配かけたくないと、強く振舞う・・・之が私には苦痛だった。

しかし、嫁には己の弱さを見せられる・・理由は一人の人間としてに成る。

私には、死の間際まで母を演じていた。

しかし、世間を見ると、殆どの人が、役を演じている。しかし、地の人間として振舞っている人も居る。その様な人が、介護施設に居る。

当然、扱い方は変わると言う事、己の価値観を出せないと言う事に成る。

勿論、鬼畜のレベルの私の見解に成る。

一流で、優秀な人は、又違う見解が有ると思うし、私以上に人を大事にできると、私は思っている。

しかし、前のブログにも書いているが、レベルが違い過ぎると、些細な差を読み取れなく成る危険性が有る。

一括りに劣っている、馬鹿な人々としてしまう可能性が有るが・・・人間と言うレベルでの優秀・一流・・・当然、その様な部分も、理解しての、自称だと私は考えている。



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