2020年6月17日水曜日

身内と他人・・・・

身内と他人と言う言葉が有る・・・・

未だに残っている言葉だが・・・・・私は何度の書く様に、家族から差別主義者と言われる・・・この様な立場だから言えると思うが・・・・・身内と他人との扱い方も、私は違うが・・・・
平等主義者なら、同じと成るし・・・・この様な単語も、否定されて良いと考えている。

若し、責任の所在だけで・・・残っている単語後だとすると・・・当然、身内にが責任が重い・・・・責任・義務から逃げる・避ける様な教育・社会の流れなら・・・
当然、身内から遠ざかる、逃げる方向に、人々は動く事に成ると私は考えている。

他人に対しては、義務・責任も問われない為に・・・・他人を求め続けると成れば・・・その他人は、貴方に取って、どの様な立場か????・・・・・勿論、平等と考えているなら・・・・他人も縁の深さ等々関係ないし身内も同じ感覚で捉えている事に成る。

現代は、人の変化での扱い方の変化が有れば・・・差別主義者と言われる。

私は、差別は有る物と言う事を、基本に置いている。

若し、差別主知者で無いと、自称すれば・・・全ての人を平等に扱う、義務・責任が出て来る。

他と些細な違いさえも、差別と言って来られたら・・・・私は差別主義者なので、当然、その様な人は、来ないが・・・・・平等主義者なら当然、それに答える義務が発生する。

私の周りだけかも知れないが・・・・平等主義者的、振舞いをしている人に多い、考え方が、責任・義務からの逃避を考える人が多いし、逆に、権利等々の、利を得る事に対しては貪欲な人が多い感じが私はします。

何度も書くが、世の中、奇麗ごとだけでは進まない・・・誰かが、下働き、後片付け、尻拭きを行っている。

この部分に、価値を見出せるような教育を行わない状況で・・・・世の中が維持できるかと考えている。

当然、現実は、この様な部分が有る、この部分を受持つ立場が、差別を感じる様な価値観と環境が問題だと考えている。

他人様を喜ばせる、他の人の為に成る行為・・・・私は善の心だと思うが・・・

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