私は、何度も書くが、現代の風潮・価値観に当てはまらない人間と、言われる。
家族からは、差別主義者・人権無視の人間と言われる。
私の基本は、人の数、違いが有ると考えている。当然、その人々が集団と成り、時間が経てば、文化も歴史も、作られるが・・・当然、各集団で違う事に成る。
現代のグローバル化等々は、この部分を、全て一極に向ける方向のように感じる。
その為に、基準を創り、その基準に合う人達で世界が構成されるなら、理想の世界に成ると言う、考えに成るが・・・私は不可能と思うし、妄想だと考えている。
夫婦で有っても、考え方が違う・・・・親子であっても考え方が違う・・・・小さな家族と言う単位でも、各々、個性が有るし、違いが有る・・当然、考え方等々の価値観も違う・・・この違いを認める、容認できる、人間を育てる事が、私は大事だと考えている。
何度も書くが、一人の個人としても、変化が有る・・・・よく書くが「生老病死」が必ずある。
しかし、この変化を、認識し、変化する事を前提で、事を考え、又、それに似あう価値観を育てているか?????
私は、息子達を見ていると、疑問が有る。
前提が、奇跡的に稀な事から始まっている。
病気に成らない・・・老いる事も無い・・・当然、死なない・・・之を前提に物事を組み立てている。
勿論、稀に叶う適う事も有ると思うが・・・・殆どが叶わない思いと成る・・・叶わなかったと言う事を、それを処しるる事が必要に成る。誰が?????
この部分も考えていない。
同じ、価値観・同じ個性の、人で、構成された社会・世界が、本当の良い世界とは私は考えていない。
しかし、それを目指すのが、平等・平和と、何故か息子達は教わっている様だ・・・
この価値観なら、このレベル・この基準が普通と成れば、それ以外は・・・認めるのか????認めないのか???・・・・認めないと成れば、それこそ差別だと私は考えている。
勿論、人間として認めるかに成る。
又、認めても当然、私は優先順位が有る。
本当に余裕が無ければ、私は、優先順位で考える。
今回、国境なき世界を目指し、理想としていたEU諸国・・・感染病対策で、優先順位で己の国と成ったと思うから、国境閉鎖が行われている。
私は、村内の古い、因習的な部分も有るが、それも歴史である・・・・現代に則した方向に、近づける努力が必要と考えている。当然、それに属しているから行われる・・・・
変えて行ける部分と、変えてはダメな部分とが有ると私は考えている。
都会の文化とも違う・・・他の地域とも違う・・・之が、大事だと私は考えている。
現代は、何故か、隣と一緒という事が、良いと言う考えが有る。
違いが有るから、問題が出て来ると言う考えに成る。
若し、この価値観で、染まれば、誰しも老いる、病気になる。等々を意識した価値観で事を作っていない・・・・
要は、この様な立場に成れば、社会から脱落すると言う社会に成る。
この様な社会が本当に良い、社会かは?????各自が考える事に成る。
色んな人が居る、色んな個性が有る。だから楽しいし、面白い・・・と、何故思えないのか????之が不思議である。
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