三男の娘の、一歳の誕生日を兼ねて、ひな祭りの、お祝い行事を、昨日行う事が出来・・・感謝して居る。
三男の若嫁の、ご両親とも、良い語らいが出来・・・良い、お祝い事に成った。
残念だったことが、孫が、熱が有り・・・元気が無かったこと・・・泣くギリギリの状態だったが・・・無事、届け物も、親族を回って、無事終わったので、之も良しとしたい。
この様は、お祝い事・・・・最近は、生まれた子供が、大人に当然に成ると思っている人が多い・・・・数十年前・・・私達が子供の頃は、突然死等々、子供は何時死ぬか解らないと思われていたし・・・兄弟が亡くなっている、同級生も、当然のように居た時代に成る。
要は、一歳の峠を越える事が出来たと言うお祝いと・・・初びなを行える程、育ったと言う、祝いに成る。
生きる之が普通で無かった時代だと言われると、その通りに成るが・・・・生きているこの部分だけで、お祝い、感謝が出来ていた時代と言う事にも成る。
今は、生きる、この部分に疑問も持たないし、当然の事に成っている。
生きる為の、欲が・・・欲の為の欲に向かっていると私は考えている。
同じ、欲でも、意味が違う様に思う。
三男も、今後、解る時が来ると思う。
祖先が、作り出した文化・・・それを見せて、どうするかは、後継の人達の考え方に成る。しかし、預かった文化を、最低でも見せる、責任が私には有る。
この様は、文化は、私、一代の価値観で判断できないと思っている。預かり背負っているなら、当然、降ろして、後継者に見せる・・・ここ迄が義務と考えている。
その後の、説明等々は、責任だと考えている。
長い、年数と言うより、歴史で、出来上がった文化・・・数代の人間で、判断するもので無いと考えている。
一つ、経験を・・・・・親たちと同年配の・・・親が娘を嫁がせた・・・・当然、この様なお祝いを行ってもらうと思って、色々準備して、送った・・・・結果は、連絡もない・・・当然、何という嫁ぎ先と成る・・・この様な親が、我家に何人も来られたから、私は記憶している。
娘と嫁がせる・・・昔は嫁入り道具を、多々持たせる・・・勿論、凄い金額に成る・・・・その後、娘や息子が生まれる・・・当然、そのお祝い、行事等を想定して、安い金額で無いので、準備をされ、時が来たら、送られる・・・・之が、娘を嫁がせた親の責任と思って居られた人が多い時代が、父達の時代に成る・・・
しかし、送っても何の、連絡もない・・・有っても、迷惑な事をされて・・・と成れば、当然、良い感じは、しないと思う。
勿論、その様な事が無いように、昔は、中立さん、仲人さんが、動かれていた・・・
しかし、この様な立場の人も居ない・・・結果、嫁いだ娘に聞く・・・・娘事態もその様な事を、知らない・・・ハ~~~ンと言う感じに成る。
直接、嫁ぎ先の家に聴く、この行為も、出来るようで、出来ないのが、本来・・・・
結果、出来るだけ、費用をかけないで・・・負担を掛けない、方向に向かっている。
要は、損しても背負いきれるの事に成って行く・・・・・
勿論、三流で、力が無い私の場合、大袈裟な事は、出来ない・・・・有る物でする事に成る。新たに購入できるほど余裕も無いし、その様に日頃から、風潮している。
要はこの様な部分でも、当然、カタログスペックで判断している事に成る。性能・力が有ると、思えるなら、当然、この様な事も派手に成ると思われても仕方が無い。
そのイメージに答える、之が出来なければ、先に書いた様に、不満が出て来る。
しかし、私の子供達の件でも、最低限の部分さえ、仁義を欠く、家等々の出て来る、之も現代の流れと、思う事にしている。
しかし、良い、祝いが出来た・・・・全ての人に感謝と成る。
良い子に育って貰いたいと、祈っている。
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