四男の自転車が有る・・・今日は登校しているかと尋ねると、学校へ行ったとの事・・・・
しかし、高校登校許可を取っている、自転車が有る・・・・
嫁に聞くと、知らないとの返事・・・
自転車を見ると、前のカゴの取り付け部分が無くなっていて・・・物を載せると、左右に大きくカゴが動く・・・・・
壊れた為に、他の自転車で四男は登校した様だ・・・
しかし、何時もの事だが・・・何故、修理をしない、メンテをしないと思う、
ネジが緩んだら締めれば済む事、之を放置して使用を続ければ、ナットが取れて、結果、取り付け板まで紛失する事に成る・・・
上の子から、この様な方向性が有る・・・バイクにしても、車にしても使用するだけ、何処か調子がおかしくなり、我慢が出来なくなると、何故か私がする事に成っている。
壊れた・・・出来ないなら、修理をお願いすると言う態度が最低でも必要と思うが・・・
現代は、放置・・・・その為に、会話が無いし、指導・鞭撻の機会も無くす・・・・
小言を耳にすることも無く、気付いた時には直っていた、このパターンに成っている。
本人達に自覚を持たせる為に、何もしないという手も有るが・・・・この様なタイプ、結局、人の物で代用する・・・代用された者が、結果として私に、何故と問い詰めてくる・・・
結局、誰かがする事なら、私がした方が気が楽に感じる・・・
今回も四男は、五男の自転車で登校している。帰ってきた四男は、カゴがグラグラする自転車を、気にせず使用するとは、思えないし、結局、私に、にーチャンに取られた・・・・ボロ自転車しかないので、何にも出来ないと成る・・・・
最近の若者にはこの様なタイプが多いと思う・・・・自分の内で片付ける、之が出来ない・・・・その為に、物事の問題が第三者に広がり出す・・・・之を指摘すると、怒る・・・・
このパターンの様だ・・・・
結局、食べる人には成りたいが・・・片付ける人には成りたくないと言う人が多い世界に成れば、バランスが悪いと思う・・・・
振舞う・行動する・・・全て自己で完結する事が本来・・・行動すれば、必ず結果が出る・・・この結果が良いときも有れば、悪い時も必ず有る・・・・
私の子供達は、行動は全て良い方向に成るものだと、思っているし、教えられている感じさえする。
その為に、若し悪い事が結果として出た場合、全て自分以外に押し付けようとする、考えが有る様だ・・・又、其れを否定する、模索に能力を使う・・・
誰しも失敗もするし、結果が悪い事が、本来、多い筈だと私は考えている。失敗して、その痛みを知るから、努力もするし、二度と失敗しないように、模索もする・・この方向性の模索なら良いとおもうが、先に書いている模索で、言い訳を考える、体裁を装うこの方向なら、成長も無いし、第一、この行動をしていて、楽しいかとも思える・・・
失敗して、叱咤され、悔しいし・・・しかし、之が先に繋がると思えば、楽しいとも成る・・・又、感謝の念も出て来る。
子供達の価値観なら・・・叱咤、悔しい・・憎んでやる・・・怨んでやる・・・・この方向に向って、何が楽しいのか解らないし、単純に辛い事・・・・辛い事には縁しないように、遠巻きに留まる、こんな生き方なら面白いと言える人生かにまで、疑問が私は沸く・・・
修理代に、ホームセンターで200円ほど使った・・・之も、最初の緩みを知っている使用者ならメンテを確りしていれば、要らないお金・・・・
メンテもしないで、壊れるまで使って、又新しいものをに変える・・・・物に対してなら、物は愚癡も言わないが、人に同じ事をすれば・・・・私は怖いと考えている。
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